励ましの言葉が、届きませんでした——自分のことは、自分で決めたかった

その一言は、相手の代わりに何を決めていますか 仏教

心を病んで動けなかった時期に、いろいろな言葉をかけられました。今日は、その言葉を並べます。

先に断っておきます。言った人を責める話ではありません。前の回に書いたとおり、いまの私は誰も恨んでいません。書くのは、自分が誰かに声をかける側に立ったときのためです。

言われた言葉は、八つあります

  • 一回の失敗
  • がんばれ
  • 甘えるな
  • こっちで考えるから
  • 寝過ぎ
  • 何もしない
  • ちゃんとしろ
  • 大丈夫

どれも、実際に言われた言葉です。誰に言われたかは、書きません。一つだけ、誰の言葉か分からないように、言い回しを変えてあります。

当時の私は、どの言葉にも「それは違う」と感じていました。

「違う」と感じた理由は、一つでした

やさしい言葉も、きつい言葉も、混ざっています。けれど、「違う」と感じた理由を言葉にすると、一つになります。

自分のことだから、自分で決めた方針でやりたかった。

問題の所在——八つの言葉に、共通していること

八つを、並べ直してみます。

どう動くかを決める言葉。がんばれ。甘えるな。ちゃんとしろ。

いまの過ごし方に点をつける言葉。寝過ぎ。何もしない。

起きたことの大きさを決める言葉。一回の失敗。大丈夫。

考えることを引き取る言葉。こっちで考えるから。

向きは、四つとも同じです。私のことを、私の外で決めている。

「自分で決めた方針でやりたい」と思っている人間に、外で決まったことは入りません。励ましが届かなかった理由を、私はここに見ています。

果y=因a×縁xで読むと

式の使い方をまとめた回に、こう書きました。

因(a)——あなたがまいた種。行い、習慣、積み重ね、能力。自分の管轄です。

因aは、その人の管轄です。裏返すと、他人の因aは、こちらの管轄ではありません。

八つの言葉は、どれも、私の因aを外から決めようとしていました。こう動け。そう過ごすな。こう受け取れ。考えるのはこちらだ。

すぐ怒る人の回に、私はこう書いています。

だから「ああいう性格だから」と、その人の因aを言い当てることはできません。動かすことも、できません。

あのときは、声をかける側として書きました。かけられる側だったころの私にも、同じことが起きていたことになります。

私の状況に合っていた言葉

合っていた言葉も、あります。同じ回に書いた、スーパーの店長の言葉です。

うちは本当に困っている人を雇う。大した仕事はしていないから

この言葉には、私がどうすべきかが、一言も入っていません。「がんばれ」も「大丈夫」も、ありません。出てきたのは、場所だけです。

この言葉は、私の因aに触れていません。置かれたのは、縁xです。その職場で何を試すかは、自分で決めました。無財の七施も、距離を縮める工夫も、自分で決めて始めたことです。

自灯明(じとうみょう)——半分だけ、合っていました

ここで言葉を一つ。自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)です。噛み砕くと、自分を明かりとし、法(教え)を明かりとせよ、ということ。お釈迦様が亡くなる前に説かれたと伝えられる言葉です。

自らを灯明とし、自らを依処とせよ。法を灯明とし、法を依処とせよ。他を依処とするな。

「自分のことは、自分で決めたい。」当時の私の言い分は、この言葉の前半と、同じ向きをしています。

ただし、辞典には、こうも書きました。

「自分を信じろ」ではありません。必ず法灯明とセットで、自分は明かりを持つ側であって明かりそのものではない、という意味です。

当時の私は、自分で決めたいのに、決めるための明かりを持っていませんでした。原因を全部、外に置いていたころです。前半だけがあって、後半が無かった。

では、その明かりに、どうやってたどり着いたのか。誰かに「仏教を学べ」と言われたからではありません。きっかけの回に書いたとおり、「宗教なんて否定してやる」と思って、自分で確かめに行ったからです。ここでも私は、自分で決めた方針でやっていたことになります。

同じ回に、当時の自分に一言だけ言えるなら、と書きました。「仏教を早く学んでほしい。心が楽になる」。けれど正直なところ、この一言も、当時の私には届かなかったと思います。九つ目の言葉になっただけでしょう。

声をかける側に立ったとき

では、動けない人のそばにいるとき、何ができるのか。私に言えるのは、受け取る側にいて分かった範囲のことだけです。

相手の因aを決める言葉は、届きにくい。こちらが置けるのは、縁xのほうです。場所。時間。話を聴くこと。

自殺対策の分野に、ゲートキーパーという言葉があります。悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聴いて、必要な支援につなげ、見守る人のことです。千葉県の案内は、話を聴くときの心得を「安易に励ましたりせず、じっくりと話を聴いて」と書いています。

励まさずに、聴く。受け取る側だった私の実感と、合っています。

まとめ——歯止めを三つ

ひとつ。言った人を責める話ではありません。言った人には、言った人の因と縁があったはずです。そこは、私には書けません。書けるのは、受け取った側で何が起きていたか、だけです。

ふたつ。「何も言うな」「放っておけ」という話でもありません。黙ることと、決めないことは、別です。そばにいて、聴いて、場所を置く。それは、声をかけないこととは違います。

みっつ。命や安全に関わるときは、話が別です。「自分で決めたい」という気持ちを大事にすることと、危ない状態をそのままにすることは、違います。そのときは本人まかせにせず、医療や相談窓口につなぐことを先にしてください。ゲートキーパーの役割にも、「つなぐ」が入っています。

判定は、こうしておきます。その一言は、相手の代わりに、何を決めていますか。

今日も良い種をまいていきましょう。

一人で抱えるには重すぎる夜は、話を聴いてくれる人がいます。電話やSNSで話せる窓口が、厚生労働省の「まもろうよ こころ」にまとまっています。この記事を閉じたあとの あなたの時間が、少しでも軽くなりますように。

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