名僧と人物

仏教

知の巨人・立花隆の死生観に、仏教から返信する——死を思うことと、死を選ぶことのあいだ

知の巨人・立花隆の死生観(死を悩むのは健全な成長・人間存在は偶然の産物)に仏教から返信。死の直視には全面同意、しかし「悩み抜いた末の選択」には静かに異を唱え、同じ偶然を「有り難し」と読む道を示します。
仏教

救われるのは、死んでからか、生きているうちか——親鸞聖人・三大諍論③体失不体失

往生は臨終の瞬間か、生きているうちに定まるか——親鸞聖人は不体失往生=平生業成を主張しました。死後の保険ではなく今日の安心(摂取不捨・生きても良し死んでも良し)。三大諍論シリーズ最終回です。
仏教

新人の信心と、師匠の信心は同じか——親鸞聖人・三大諍論②信心同異

「私の信心と法然上人の信心は一つ」——兄弟子の怒りを買った親鸞聖人の主張に、法然上人は「如来より賜った信心ゆえ同一」と裁定。信仰マウント・キャリアの壁への800年前の判決を解説する三大諍論シリーズ第2回。
仏教

努力の「量」は、救いの条件か——親鸞聖人・三大諍論①信行両座

吉水教団で座を二つに分けた信行両座の諍論。念仏の量(行)か信心か——法然上人は「源空も信の座に着く」と裁定しました。量の信仰が取引に変わる罠と、因果の道理と他力の二層構造を解説する三大諍論シリーズ第1回。
仏教

地獄に落ちても、後悔しない——親鸞聖人と法然上人、運命の出会い(教行信証・後編)

六角堂の百日参籠、吉水への百日聴聞、「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし」の革命性、歎異抄「だまされて地獄に落ちても後悔しない」の理性的な理由、承元の法難と流罪=逆縁まで——教行信証・後編です。
仏教

人生は、渡り難い海である——親鸞聖人『教行信証』冒頭の「大船」の話

親鸞聖人『教行信証』冒頭「難思の弘誓は難度海を度する大船」を解説。人生=渡り難い海、煩悩(症状)と無明の闇(根源)の違い、愚禿と名乗った正直さ——煩悩はそのままで沈まない船という浄土真宗の核心です。
仏教

気持ちは17歳のまま、体だけが老いていく——小野小町と「老苦」の話

老いの苦しみの正体は、若い自己イメージと現実のギャップ。世界三大美女・小野小町は「花の色は移りにけりな」と美貌の無常を歌い残しました。執着の量=苦しみの量、そして老いるほど残高が増える口座の話。
仏教

イチローの名言は、積分である——「とんでもないところ」への唯一の道

「小さいことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道」——イチローの名言は精神論ではなく積分(y=a∫xdt)です。同じことの繰り返し=狂気の円運動との違いは何か。円と螺旋を分ける精進の話。
仏教

心をどこにも置くな——沢庵和尚と、たくあんと、「夢」の一字。笑える名僧列伝③

たくあんの名の由来とされる沢庵和尚。紫衣事件で流罪になっても曲げなかった気骨、柳生宗矩に説いた「心をどこにも留めるな」(不動智神妙録)、そして遺言は「夢」の一字——執着の力学を剣の速度で説いた禅僧を読み解きます。
仏教

ゆるすぎる禅画と「死にとうない」——仙厓。笑える名僧列伝②

ゆるすぎる禅画で庶民に教えを届けた博多の仙厓さん。○△□は答えではなく問いを発生させる絵、臨終の「死にとうない、ほんまに」は凡夫を最期まで正直に生きた辞世——対機説法の名人を仏教で読み解きます。