このブログでは、ほぼ毎回この式が出てきます。今日はこの一本だけ読めば全部わかるように、使い方をまとめます。
果 y = 因 a × 縁 x
三つの文字の意味
因(a)——あなたがまいた種。行い、習慣、積み重ね、能力。自分の管轄です。
縁(x)——外から来る条件。出会い、時代、環境、体調、運。自分の管轄外です。
果(y)——結果。この二つの掛け算で出てきます。
ブログ名の我果業(がかごう)も、ここから来ています。我が果は、我が業より生まれる。
なぜ足し算ではなく、掛け算なのか
ここが、この式のすべてです。足し算なら、片方がゼロでも結果は残ります。掛け算は、片方がゼロなら結果もゼロです。
どれだけ実力(a)があっても、出番(x)が来なければ果は出ません。逆に、絶好の機会(x)が来ても、準備(a)がなければやはりゼロです。「実力があるのに芽が出ない人」と「チャンスを活かせなかった人」は、同じ式の、違う辺がゼロなだけなのです。
この非情さが、同時に救いでもあります。結果が出ないのは、努力が足りないからとは限らない。縁がまだ来ていないだけかもしれない。「果報は寝て待て」が怠け者のことわざではなく、因をまきまくって縁を待つ戦略である理由がこれです。
使い方①——うまくいかない時の、原因の切り分け
この式のいちばん実用的な使い道が、悩みの仕分けです。
問題が起きたとき、それはaの問題か、xの問題かを分けます。aなら改善できます。xなら、こちらにできるのはxが変わるまで待つか、別のxのある場所へ移ることだけです。
この切り分けをしないと、変えられないもの(x)を変えようとして消耗します。『逃げる勇気』の記事で書いた「2割の人には必ず嫌われる」も、自分のaのせいではなく、xの性質だと見れば、原因探しをやめられます。
使い方②——「やる気」は因ではなく、果である
間違えやすいのが、ここです。
やる気は、因aではありません。行動という因aが、体という縁x(ホルモン・睡眠・姿勢)に触れて生まれる、果yのほうです。だから「やる気が出たら動こう」は、果を先に受け取ろうとする逆さまの注文になります。
詳しくは『やる気に頼らず「すぐやる人」になる』の記事に書きました。因の席に何を座らせるかで、式の答えは変わります。
使い方③——縁は選べないが、「縁の場所」は選べる
xそのものは操作できません。でもどのxが吹いている場所に立つかは、選べます。
森岡毅さんの記事で書いた「強みが活きる土俵を選べ」も、行動遺伝学の記事で書いた「配られた手札は選べないが、どの卓に着くかは選べる」も、全部この話です。
そして上機嫌の記事で書いた通り、機嫌は縁の設計です。不機嫌でいることは、人も情報も寄ってこない状態を自分でつくる行為——つまりxを細くする行いなのです。
使い方④——他人の成功を、正しく見る
誰かが成功したとき、この式は二つの誤解を同時に防ぎます。
「あの人は運が良かっただけだ」——xだけを見ています。
「あの人は努力したから当然だ」——aだけを見ています。
実際は両方が必要でした。矢田修さんの記事で書いた通り、40年の臨床(a)があり、球団との縁(x)があり、そして果が出た。どちらが欠けても、あの結果はありません。
これは自分に向けても同じです。うまくいった時に全部を自分の手柄(a)にすると、次に縁が変わったとき立てなくなります。
この式が扱わないこと
最後に、大事な限界を書いておきます。
この式は「この世の果報」の話です。健康、収入、人間関係——因を整え、縁を選べば、変わります。
ただし仏教には、もう一段あります。どれだけaを積んでも届かない領域です。努力できることすら生まれで配られているとしたら、aを積める人と積めない人の差は、結局また生まれの話に戻ってしまう。そこで「a次第の救い」を降ろしたのが、他力の教えでした。
だからこのブログは二階建てです。一階は因果——今日の行いで、明日の暮らしが変わる話。二階は他力——因果の外から差し伸べられる手の話。この式は、一階の設計図です。
なお、この二階建ては、「なぜ」と「どう」の区別、そしてベクトル(方向と大きさ)と、実は同じ一本の線です。その整理は→ なぜこのブログは、歯列矯正を仏教で分析しないのか
まとめ——今日、握っているのはaだけ
縁は選べません。果は、出てからでないとわかりません。今この瞬間に握っているのは、因aだけです。
だからこのブログは、毎回同じ言葉で終わります。今日も良い種をまいていきましょう。


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