このブログは、因果の道理を果y=因a×縁xという式で書いてきました。
この式のもとになったのは、仏教を広めたくて書いたものではありません。逆です。否定してやろうと思って当てはめた数学でした。今日は、その話を書きます。書き手である私自身の話です。
最初は、テレビでした
仏教に最初に触れたのは、テレビでした。仏教を扱うバラエティ番組があって、興味は持ちました。ただ、深く追いかけることはしませんでした。
そのころから、私はストレスで心を病んでいました。それでも、仏教の話を聞いていると優しさをもらえるような気がして、好きな番組でした。
何年かあと、おすすめに出てきた動画
それから何年かあとのことです。大学を卒業して五年以上がたっていました。学校生活が合わず、友人関係も合わず、家族とも合わず、ためこんだストレスで心を病んでいた時期です。そのころのことは、ブログ名の由来の回にも少し書きました。
そんな中で、リハビリとしてアルバイトをはじめました。空いた時間に、動画を見るようになりました。
「中田敦彦のYouTube大学」に仏教を扱った動画があって、楽しく見ました。その関連のおすすめに出てきたのが、ある仏教の講師の方の動画です。これが、きっかけになりました。
「宗教なんて否定してやるぜ」
正直に書きます。そのときの私は、素直に聞いていたわけではありません。心を病んでいたこともあって、「宗教なんて否定してやるぜ」という考えで見ていました。
否定するために使ったのが、数学です。
ところが、結果は逆でした。数学を当てはめたら、否定するどころか、証明できてしまったのです。
そのとき考えたことは、のちに「趣味仏教を説明してみた」という連載にまとめました。一回目では、因をa、縁をx、果をyと置いて y=ax と書き、化学反応や、事故の原因調査や、病気の診断と治療に当てはめています。四回目には、こう書きました。
数学を否定できない以上、そこから導かれる因果の道理も否定できない。
これが、もっと仏教を知ろうという気持ちに変わりました。
もう一つの理由は、中学のころの目標でした
否定するつもりで見はじめた人間が、なぜそのまま見つづけたのか。数学のほかに、もう一つ理由があります。
私の人生でいちばんうまくいっていたのは、中学の時代でした。そのころ私は、「論理的な優しさ」を目標にして過ごしていました。
ここで言葉を一つ。悲智円満(ひちえんまん)です。噛み砕くと、慈悲と智慧が欠けずにそろっていること。仏のありようを指す言葉です。智慧は、ものごとの道理を見抜く力。慈悲は、苦しみを抜いて楽を与えようとする心です。
仏教を学ぶうちに、この「智慧と慈悲」の話を知りました。中学の自分が目指していたものに、似ていました。それで興味がわき、動画を見つづけるようになりました。
このブログの最初の記事(二〇二二年)を読み返すと、まとめの段落に、もう「智慧(厳しさ)と慈悲(やさしさ)」と書いてあります。別の回では、仏教の方向性を「智慧と慈悲——論理的な優しさ」と書きました。出どころは、中学のころの目標です。
疑ってかかるのは、失礼だったのか
否定してやる、という構えで教えを聞く。失礼な話に聞こえます。ところが、お釈迦様ご自身が「うのみにするな、確かめよ」と説いています。
『カーラーマ経』という経典があります。噛み砕くと、「何を信じればいいのか」と尋ねた人々に、お釈迦様が答えた記録です。噂だから、伝統だから、聖典に書いてあるから、理屈が通っているから、語る人が立派に見えるから、自分の師だから——そうした十の理由を挙げて、それだけで信じてはならない、と説かれました。そのうえで、自分で確かめて、それが善く、実行すれば安楽をもたらすと知ったときに受け入れなさい、という趣旨のことを言われています。
疑うのが目的ではありません。確かめてから受け入れよ、という順番の話です。
そして、この十の中には「理屈が通っているから」も入っています。数学で証明できた、というのは、まさに理屈が通ったということです。それは入口にはなりました。けれど、この経典の物差しでは、まだ足りません。決め手は、やってみてどうだったかのほうです。
私にも、それを確かめる機会がありました。働きはじめてからの職場に、いちばん嫌われている人がいました。仏教の教えを実践してみたら、比較的仲良くすることができました。
果y=因a×縁xで、自分の話を読む
テレビの番組も、YouTube大学の動画も、おすすめに出てきた動画も、私が用意したものではありません。縁xです。
それを見たこと、疑ったこと、数学を当てはめてみたこと、職場で試してみたこと。こちらが因aです。
種をまいたとき、私は否定するつもりでした。それでも芽は出ました。向きが逆でも、確かめに行ったことは、種になるようです。
まとめ——歯止めを三つ
ひとつ。仏教で病気が治った、という話ではありません。私の場合、先にあったのはリハビリのアルバイトで、動画を見たのはその空き時間でした。いま苦しい方に要るのは、まず医療や、相談できる場所です。仏教は、そのあとで間に合います。
ふたつ。特定の動画や団体をすすめる話でもありません。最初の記事にも書いたとおり、宗教に入る必要はありません。依法不依人(えほうふえにん)——「法に依りて人に依らざれ」。誰が言ったかではなく、何を言っているかで確かめる、という物差しです。
みっつ。式で証明できたのは、因果の道理のところまでです。数学の世界でいう厳密な証明でもありません。この式が扱わない話も、仏教にはあります。
判定は、こうしておきます。「どうせ嘘だ」と思ったそのことを、自分の手で確かめましたか。
当時の自分に一言だけ言えるなら、こう言います。仏教を早く学んでほしい。心が楽になる。
否定するつもりで、かまいません。数学を片手に、かまいません。
今日も良い種をまいていきましょう。
一人で抱えるには重すぎる夜は、話を聴いてくれる人がいます。電話やSNSで話せる窓口が、厚生労働省の「まもろうよ こころ」にまとまっています。この記事を閉じたあとの あなたの時間が、少しでも軽くなりますように。

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