屏風の虎退治——あなたを夜な夜な襲う虎も、絵である。一休さんの笑い話④

屏風の虎退治——あなたを夜な夜な襲う虎も、絵である。一休さんの笑い話④ 仏教

将軍からの無理難題

一休さんの笑い話、第4回は「屏風の虎」です。時の最高権力者・足利義満が、小僧の一休を試して言いました。

「あの屏風に描かれた虎が、夜な夜な抜け出して暴れて困っておる。退治してくれぬか」

絵の虎を退治しろという、完全な無理難題です。一休は平然と縄を手に取り、身構えて言いました。

「では、捕まえますので、どなたか屏風から虎を追い出してください」

——追い出せるわけがありません。絵ですから。将軍、一本取られて大笑い。これが有名なオチです。

この話、実は「あなたの夜」の話です

子ども向けの痛快譚に見えますが、大人になって読み返すと、この話の主役は将軍でも一休でもないことに気づきます。主役は「絵なのに夜な夜な暴れる虎」です。

心当たりはないでしょうか。夜、布団の中で暴れ出すもの——「あの件、失敗したらどうしよう」「嫌われたかもしれない」「老後のお金は」「あの人にこう言われたら、こう言い返して」……。まだ起きていないこと、確かめていないこと、頭の中にしかないものが、夜な夜な牙をむく。

それ、屏風の虎です。絵です。

仏教の分析——虎は、外ではなく心が描いている

先日、心(識)は8つあるという仏教の見方(八識)に触れましたが、要するに仏教は「世界の見え方は心が作っている」ことを徹底的に分析してきた教えです。不安の虎は、外の現実にいるのではなく、心という屏風に、自分の筆で描かれている——。

証拠に、同じ状況でも人によって虎の大きさは違います。同じ「上司に呼ばれた」でも、平気な人と眠れなくなる人がいる。状況(縁)は同じ、描き手(心)が違うのです。前回、人を止めるのは立て札ではなく思い込みだと書きましたが、構造は同じです。人を襲うのは現実ではなく、現実について描いた絵なのです。

一休の返しに隠された、実践的な智慧

ここで一休の返しをもう一度見てください。「屏風から追い出してください」——これは「その虎を、現実に出してみせてください」という検証の要求です。

これはそのまま、不安への実践的な対処法になります。夜の虎が暴れたら、紙に書き出して、問うのです。「この心配は、今、現実に起きているか?」——たいていの虎は、この一問で屏風から出られなくなります。起きていないからです。書き出してみると、恐れの大半が「絵」だったと分かる。ものごとをあきらかに観る諦観の、一番身近な使い方です。

そして、まれに本物の虎(現実に起きている問題)がいたら?そのときは心配ではなく対処の出番です。種をまけば果は変わります。つまりどちらにしても、夜の布団の中で暴れさせておく理由だけが、ないのです。

もう一つ、見逃せない点があります。恐怖の虎が棲んでいる場所です。よく観察すると、虎は必ず「まだ来ていない未来」か「もう過ぎた過去」に棲んでいます。「失敗したらどうしよう」は未来、「あんなこと言わなければ」は過去。今この瞬間の、この部屋には、虎はいないのです。だから不安に呑まれた夜の応急処置は、今に戻ること——ゆっくり呼吸を数える、床を一箇所磨く(掃除が修行になる理由がここにもあります)。体を今に連れ戻すと、心も屏風の前から離れられます。

まとめ——「追い出してください」と言ってみる

不安が牙をむく夜は、一休の縄を思い出してください。

「捕まえてやるから、屏風から出てこい」——出てこられたら、対処すればいい。出てこられないなら、それは絵。絵に食われる人生は、もったいない。今夜から使える、550年前のとんちです。

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