世界一変わった自伝
【自伝を仏教で読む】第六回は、民族学者・梅棹忠夫の『裏返しの自伝』です。この自伝、構成が尋常ではありません。普通の自伝は「自分がやってきたこと」を語ります。梅棹はその逆——「なれそうで、なれなかった自分」を語るのです。画家になっていたかもしれない。登山家に、実業家に、作家になっていたかもしれない。実現しなかった人生の可能性を並べることで、逆に「梅棹忠夫とは何か」を浮かび上がらせる。まさに裏返しの自伝です。
梅棹忠夫という知の巨人
本人の実績も並外れています。モンゴルやアフガニスタンを歩いた探検家であり、『文明の生態史観』で世界史の見方を変え、『知的生産の技術』は今も読み継がれる大ベストセラー。国立民族学博物館(みんぱく)の初代館長として、日本の民族学の拠点を作りました。
その絶頂期の1986年、突然の病(視神経炎)で両眼の視力を失います。66歳。研究者にとって、読むことと書くことを奪われる——想像を絶する出来事です。
「なれなかった自分」と縁起
まず、この自伝の構成そのものを仏教で読んでみます。
「なれたかもしれない自分」がいくつも存在した、ということは、今の自分は無数の縁の分岐の結果にすぎないということです。あの日あの人に会わなければ、あの本を読まなければ、探検隊に誘われなければ——縁が一つ違えば、別の梅棹忠夫がいた。
これは仏教の縁起そのものです。固定した「本当の自分」がどこかにあるのではなく、自分とは縁が織り上げた一時的な現象(無我)。梅棹は民族学者の目で、自分自身をフィールドワークして、同じ結論に到達したように見えます。「私」とは、選ばれなかった無数の可能性の上に、たまたま咲いた一輪なのです。
失明への向き合い——忍辱と、それでも続ける精進
失明後の梅棹の歩みは、鬼気迫るものがあります。絶望の底から、彼は口述筆記という方法で知的生産を再開し、その後も何冊もの本を世に出し、みんぱくの活動を続けました。
「見えなくなった」という現実は変えられません(定数)。しかし「見えない状態で何をするか」は選べます(変数)。耐えられないときに耐える忍辱と、状況が変わっても歩みを止めない精進。『知的生産の技術』の著者は、人生最大の危機においても、知的生産の方法そのものを組み替えることで応えたのです。
ちなみに梅棹は、目が「見えて」いた頃から、じつは観る人でした。誰もが見ている日常の風景から文明の型を読み取る『文明の生態史観』は、肉眼ではなく観察眼の産物です。だからこそ、肉眼を失っても観察眼は失われなかった——「見る」と「観る」は別の能力だという、一見四水にも通じる話が、この人の後半生には隠れています。
まとめ——選ばれなかった人生に、合掌
誰の中にも「なれなかった自分」がいます。あの時ああしていれば、という影の人生が。梅棹の裏返しの自伝は、その影を悔いの材料ではなく、今の自分の輪郭を教えてくれる光として扱います。
選ばれなかった無数の可能性があって、今日の自分が一つ立っている。そう思えば、今の人生が少し、選び直されたもののように見えてきませんか。縁の中で、今日も歩みを続けましょう。


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