一休さん

仏教

77歳の一休は、恋をした——狂雲集と森女。一休さんの笑い話・番外編

77歳の一休は盲目の旅芸人・森女に恋をし、その愛を漢詩集『狂雲集』に隠さず詠んだ——破戒か、それとも「欲を隠して聖人を演じる仏教界」への命がけの抗議か。渇愛と慈悲、煩悩具足の凡夫を仏教で読む番外編。
仏教

「心配するな、大丈夫、なんとかなる」——一休さん最後のとんち。シリーズ最終回

臨終の一休が弟子に遺した封書「困り果てたときに開けよ」。数年後開くと「心配するな、大丈夫、なんとかなる」——最後のとんちを仏教で分析。諸行無常と他力に裏付けられた、握りしめた心をほどく刃。シリーズ最終回。
仏教

人生は「一休み」である——名前に込めた歌が深すぎる。一休さんの笑い話⑤

「有漏路より無漏路へ帰る一休み 雨降らば降れ風吹かば吹け」——一休の名の由来の歌を仏教で解説。有漏路=煩悩の穢土、人生=浄土へ帰る旅の一休み。宿に執着する旅人の滑稽さと、行き先が定まった者の安心を読み解きます。
名僧と人物

屏風の虎退治——あなたを夜な夜な襲う虎も、絵である。一休さんの笑い話④

一休さんの「屏風の虎退治」を仏教で分析。夜の布団で暴れる不安の虎は、心という屏風に自分で描いた絵。「屏風から追い出してください」は不安への検証の要求=諦観の実践です。今夜から使える550年前のとんち。
仏教

正月に髑髏を掲げて歩いた男——一休さんの笑い話③(笑えない回)

正月の京都を髑髏を掲げて歩いた一休さん。「門松は冥土の旅の一里塚」の歌と、親友・蓮如上人の白骨の章は、同じ無常の説法でした。死の直視は脅しではなく、今日を正しく惜しむための処方箋——シリーズ第3回。
仏教

「このはし渡るべからず」の本当の恐ろしさ——一休さんの笑い話②

一休さんの「このはし渡るべからず」と「水飴は毒」を仏教で分析。人を止めたのは立て札ではなく言葉への執着(指月のたとえ)。和尚の「毒じゃ」は五欲の包装紙。とんちとは執着を笑いで破る刃だった——シリーズ第2回。
仏教

一休さんvs蓮如上人——室町最強の「とんち対決」を実況してみた

禅の風狂僧・一休と浄土真宗の蓮如上人は正反対の教えなのに大親友だった——阿弥陀像を枕にした昼寝事件、「極楽は十万億土」の歌合戦、「こやつの法は天下一なり」。室町最強のとんち対決を実況風に仏教で分析します。