『フランクリン自伝』を仏教で読む——13の徳と、自分に課した戒律

『フランクリン自伝』を仏教で読む——13の徳と、自分に課した戒律 仏教

自伝の古典中の古典

今回から新シリーズ【自伝を仏教で読む】を始めます。人の人生ほど面白い教材はありません。一人の人間が何をまき、何を刈り取ったのか——自伝とは、因果の道理の実録だからです。

第一回は、世界で最も読まれてきた自伝のひとつ、ベンジャミン・フランクリンの『フランクリン自伝』です。

ロウソク屋の息子から「建国の父」へ

フランクリンは18世紀アメリカ、ロウソク職人の家の17人兄弟の15番目に生まれました。学校教育はわずか2年。印刷屋の徒弟から身を起こし、独学で学び続け、印刷業で成功。さらに避雷針の発明者として科学史に名を残し、図書館や消防組合を作り、最後はアメリカ建国の父の一人となりました。

この驚くべき人生の土台に、有名な「13の徳」があります。

13の徳——自分に課した戒律

若き日のフランクリンは、身につけるべき徳を13個書き出しました。節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲。

仏教徒でもない18世紀の青年が、これはほとんど戒律の自作です。五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)と見比べると、誠実=不妄語、節制=不飲酒と、重なりがいくつもあります。人間が「幸せに生きるための行動規範」を突き詰めると、洋の東西を問わず似た場所に着くのです。六度万行でいえば持戒——ルールを守る行いを、彼は自分で設計しました。

徳の「見える化」——250年前の数値化の鬼

フランクリンのすごさは、徳を掲げたことではなく、実行の仕組みにあります。彼は手帳に13×7のマス目を作り、1週間に1つの徳に集中して、違反するたびに黒点を打ちました。13週で全部を一巡し、それを繰り返す。

これ、先日書いた『数値化の鬼』そのものではないでしょうか。感情や気分ではなく、記録で自分の行いを観る——業(行い)の見える化です。曖昧な「善くありたい」を、確認可能な種まきに変換した。250年前の数値化の鬼です。

「謙譲」が最後に足された理由

味わい深い逸話があります。13番目の「謙譲」は、最初のリストにはありませんでした。友人から「君は高慢だ。議論でいつも相手を打ち負かしている」と指摘されて、あわてて追加したのです。

仏教で言う——自惚れの心は、六大煩悩の一つで、本人には一番見えません。フランクリンほどの人でも、自分では気づけず、友人という縁に指摘されてようやく見えた。そして彼は自伝で正直に白状しています、「謙譲の実質はなかなか身につかなかったが、見せかけだけは上達した」と。この自己観察の正直さこそ、彼の本当の徳だったのかもしれません。

もう一つ、フランクリンには見逃せない顔があります。布施の人だという点です。会員制図書館を作り、消防組合を組織し、大学や病院の設立に奔走しました。さらに驚くのは、避雷針やフランクリン・ストーブといった発明の特許を取らなかったこと。「人の発明の恩恵を受けてきたのだから、自分の発明も惜しみなく人に役立てるべきだ」というのが彼の言い分です。技術と知恵の布施——蓄えた徳を、最後は社会の畑にまいた人でした。

まとめ——戒律は、自由を奪わない

戒律や規律と聞くと、窮屈なものに感じます。しかしフランクリンの人生は逆を証明しています。自分に課したルールが、ロウソク屋の息子を建国の父まで運んだ——持戒は不自由ではなく、人生の乗り物なのです。

13個は多すぎるという方へ。まずは1つ、1週間だけ。フランクリン式は今日から真似できます。今週のあなたの「徳」を、1つ選んでみませんか。

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