心は8層でできている——阿頼耶識、あなたの「蔵」の中身の話

心は8層でできている——阿頼耶識、あなたの「蔵」の中身の話 仏教

心理学より1500年早かった「無意識」

「無意識」という考え方は、フロイトが発見したことになっています。でも仏教は、はるか昔から心を8つの層に分けて分析していました(唯識という学問です)。今回は、このブログの記事のあちこちに顔を出してきた「心の蔵」——阿頼耶識(あらやしき)を、正面から解説します。

八識——心の見取り図

仏教の分析では、心(識)は8つあります。

まず表層の6つ。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識——見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる、の五感の心。そして6番目が意識——考えたり感じたりする、いわゆる「心」です(仏教はここで現代語のような意識/無意識の区別をしません。まとめて第六識です)。

ここからが深層です。7番目、末那識(まなしき)——自覚できない深さで、四六時中「自分が、自分が」とつぶやき続けている自己執着の根。私たちが疲れているときほど自己中心的になるのは、表層の理性が弱ると、この層のつぶやきが漏れてくるからです。

そして8番目、最深部が阿頼耶識。「蔵」を意味する言葉で、今まで行ってきたすべての業(行い)が、種として保存されている場所です。

蔵には、全部入っている

ポイントは「すべて」という点です。十悪の記事で、誰も見ていない行い(無表業)も消えずに残る、と書きました。その保存先がここです。口に出した言葉も、出さなかった悪意も、人知れずした親切も、逃げた夜も、踏ん張った朝も——蔵は選別せずに、全部を種として収蔵します

そして蔵に入った種は、眠っているだけではありません。芽を出して、その人の「性格」「癖」「とっさの反応」になります。イライラの種をまき続けた蔵からは、ますますイライラしやすい心が育つ。丁寧さの種をまき続けた蔵からは、無意識レベルの丁寧さが育つ。「人格」と呼ばれているものの正体は、蔵の在庫一覧なのです。

習慣の科学と、気味が悪いほど一致する

現代の習慣の科学は、「行動を繰り返すと神経回路が強化され、無意識にできるようになる」と説明します。三日坊主でも、三日分は確かに変わっている——見えないだけで。

唯識の言葉に翻訳すれば、繰り返しの行(現行)が種を蔵に薫きつけ(薫習)、種がまた行を生む——という循環です。1500年前の内観による分析と、現代の脳科学が、ほぼ同じ絵を描いている。イチローの積分の記事で書いた「見えないことと、無いことは違う」の、心版です。

実践——蔵への入荷を、選ぶ

蔵の仕組みが分かれば、やることは一つです。今日、蔵に何を入荷させるか

出荷(性格・反応)は直接いじれません。無理に「性格を変えよう」とする戦いが失敗し続けるのはこのためです。変えられるのは入荷だけ——今日の三業(思うこと・言うこと・すること)だけです。入荷を変え続ければ、在庫が入れ替わり、出荷が変わる。時間はかかります。でも、この経路しかないことを、八識の見取り図は教えてくれます。

この見取り図は、挫折の意味も変えてくれます。三日坊主に終わった習慣も、三日分の種は蔵に入っています。次に再開するとき、あなたはゼロからではなく、在庫のあるところから始めている。「また最初からか」という絶望は、蔵の仕組みを知らないときの錯覚なのです。

まとめ

あなたの蔵には、あなたの全歴史が入っています。そして今日もまた、入荷が続いています。

問いはシンプルです——今日は、何を納品しますか。良い種を、蔵へ。

なお、この「蔵に種が入る」しくみには、薫習(くんじゅう)という別名があります。香りが衣に移るように、行いが心の奥に染みついていく——現代語の「脳に回路ができる」に、驚くほど近い言葉です。→ 脳の回路は、仏教で「薫習」と呼ばれていた

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