『遺し書き 仲代達矢自伝』を仏教で読む——無料の私塾と、生涯一俳優

『遺し書き 仲代達矢自伝』を仏教で読む——無料の私塾と、生涯一俳優 仏教

シリーズ最終回は、現役の人生

【自伝を仏教で読む】第十回、最終回は俳優・仲代達矢さんの自伝です。これまで読んできた九人は皆、人生を終えた人でした。最終回は、90代でなお舞台に立ち続ける現役の人生で締めたいと思います。

戦争と貧困から始まった

仲代さんは1932年生まれ。幼くして父を亡くし、貧しい少年時代を送りました。そして12歳で東京大空襲に遭遇します。目の前で人の命が焼かれて消えていく光景を、少年は生き延びて見ました。この原体験は、後年の役者・仲代達矢の芝居の底に、ずっと流れ続けることになります。

戦後、俳優座の養成所に入り、頭角を現します。黒澤明監督の『用心棒』『影武者』『乱』、小林正樹監督の『切腹』『人間の條件』——日本映画の金字塔に、仲代達矢の顔は刻まれています。

無名塾——授業料無料という布施

この人生を仏教で読むとき、中心に置きたいのは映画の栄光ではありません。1975年、仲代さんが妻で女優・脚本家の宮崎恭子さんとともに、私財を投じて自宅に開いた「無名塾」です。

驚くべきことに、この俳優養成の私塾は授業料無料。お金ではなく本気だけを入塾の条件とし、役所広司さんをはじめ多くの俳優を世に送り出してきました。

スターの地位も収入も確立した人が、私財を削って、無名の若者に技を渡す。これは布施の記事で書いた構図そのものです。しかも渡しているのはお金ではなく、生涯かけて磨いた技と時間——魔法のザクロの末っ子のように、自分の身を削る布施です。「無名塾」という名前も示唆的です。名声(名誉欲)ではなく無名から出発せよ、という戒めが、塾の看板に掲げられているのですから。

愛別離苦、そして遺言

1996年、仲代さんは最愛の妻・恭子さんをがんで亡くします。四苦八苦の一つ、愛別離苦——愛する者と必ず別れなければならない苦しみです。

しかし彼は、妻が遺した「無名塾を続けてほしい」という言葉を守り、悲しみを抱えたまま塾と舞台を続けました。約束を果たし続けることが、彼にとっての供養であり、生きる形になったのです。行いだけは、亡き人との間にも続いていく——業力不滅を思わせる話です。

生涯一俳優——止まらない精進

仲代さんは90歳を超えてなお、セリフを覚え、舞台に立ち続けています。「役者に完成はない」という姿勢は、六度万行の精進の生きた見本です。本多静六の「人生即努力、努力即幸福」を、この人は肉体で実演しています。老いという誰にも避けられない苦(老苦)を、引退の理由ではなく、演じるべき新しい役として引き受けている——。

最後に、役者という職業そのものを仏教で見てみます。役を演じるとは、自分を一度空っぽにして、他人の人生を生きることです。「自分らしさ」を握りしめたままでは、他人にはなれません。名優と呼ばれる人ほど「役者は自分を捨てる仕事」と語るのは、偶然ではないと思います。無我の稽古を70年続けてきた人——そう考えると、仲代達矢という存在そのものが、どこか修行者に見えてきます。

シリーズを終えて——十人の人生、一つの道理

十冊の自伝を読んできました。時代も国も職業も違う十人に、共通していたことは一つです。まいた種は、必ずその人の畑に生えた。それだけは、誰の人生でも例外がありませんでした。

自伝とは、他人の畑の記録です。読むたびに、自分の畑に何をまくかを考えさせられます。人の人生は、面白い。そして、あなたの人生も誰かにとって、いつか一冊の教科書になるのかもしれません。

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