『数値化の鬼』を仏教で分析——y=ax+bと因果の道理は、同じことを言っている

『数値化の鬼』を仏教で分析——y=ax+bと因果の道理は、同じことを言っている 仏教

ビジネス書を読んでいて、目を疑った

安藤広大さんのベストセラー『数値化の鬼』。感情や曖昧な言葉を捨てて、すべてを数字で捉えよ——というビジネス書です。読んでいて、目を疑いました。本の核心に、こんな式が出てくるのです。

y = ax + b

このブログを読んでくださっている方なら、見覚えがあるはずです。私はずっと、仏教の因果の道理を果y = 因a × 縁xという式で書いてきました。最先端のビジネス書と2500年前のお釈迦様が、ほぼ同じ式に辿り着いている——今回はこの「答え合わせ」をしてみます。

本の骨子——変数に集中し、定数を捨てる

『数値化の鬼』の主張はシンプルです。

  • 感情や「たくさん」「かなり」という曖昧な言葉を捨て、数字という客観的事実で現状を見る
  • 物事をy=ax+bと捉え、自分の行動で変えられる変数(x)と、変えられない定数(b)を見極める
  • 定数はさっさと諦め、真の変数を1つに絞って行動量を注ぎ込む
  • 結果の数字を素直に受け入れ、PDCAを回す

分析①:変数と定数の見極めは「智慧と愚痴」である

仏教は、原因を自分の行いに見る人を智慧(自因自果)、他人や環境のせいにする人を愚痴(他因自果)と呼びます。

『数値化の鬼』の言葉に置き換えると、こうなります。愚痴とは、定数をいじろうとすること。他人の性格、過去の出来事、世の中の決まり——変えられないもの(定数)に向かって「なぜ変わらないんだ」と悩み続けることです。いくら念じても、bをいじってもyは変わりません。

智慧の人は、自分の行い——挨拶の回数、練習量、種まきの質——という変数xだけを動かします。2500年前から、仏教はこの見極めを教え続けてきたのです。

分析②:数値化とは「諦観」の技術である

本書は「感情の霧を数字で晴らせ」と言います。仏教にはそのための言葉がもともとあります。諦観(たいかん)——「諦(あき)らかに観る」。感情を混ぜず、ありのままに観ることです。

本書には、嫌なことを言われたら「今日で3回目だ」と数える、という技法が出てきます。感情に浸る代わりにカウントすると、相手が「嫌いな人」から「特定の頻度で反応するデータ」に変わり、心が楽になる——これは忍辱(耐えられない時に耐える)の、極めて実践的なやり方だと私は思いました。怒りの心(瞋恚)は、観察された瞬間に勢いを失うからです。

分析③:「真の変数を1つに絞れ」は、唯我独尊である

本書は、大事なことを10個書き出し、3つに絞り、最後は1つに絞れと言います。

これ、以前「自己実現するための、仏教的戦略」で書いた天上天下唯我独尊——人生のたった一つの尊い目的を持て、という「目的のミニマリスト」の考え方そのものです。変数が多すぎると人はパンクする。的は、一つに絞ったときだけ射抜けます。

そしてPDCAの「結果から原因に遡って改善する」構造は、仏教の四聖諦(苦諦→集諦→道諦→滅諦)——現状の苦から原因を突き止め、いま打つ手を定めて未来を変える——と同じ逆算の骨格をしています。

分析④:一つだけ、仏教が付け加えること

ここまで見事に重なりますが、仏教から一つだけ補足があります。本書のyは主に仕事の成果ですが、因果の道理のyは人生全体です。

つまり、数値化できない種まき——誰も見ていない誠実さ(無表業)、見返りを求めない布施——も、確実にyに効いている、ということです。数字は強力な道具ですが、因果の帳簿は、数字に表れない行いまで記帳している。ここだけは、鬼より道理のほうが一枚上手です。

まとめ——鬼とは、因果で生きる人のこと

『数値化の鬼』とは、要するに感情ではなく因果で生きる人のことでした。それは仏教が「智慧の人」と呼んできた生き方と、ほとんど同じです。

ビジネスの最前線が、因果の道理に追いついてきた——そう感じた一冊でした。変えられない定数を手放し、今日動かせる変数を一つ。良い種をまいていきましょう。

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