「良いことをしているのに、報われない」
人に親切にしている。困っている人がいれば助けてきた。それなのに、幸せになった気がしない。むしろ、モヤモヤが残る——。
そんな経験はないでしょうか。
仏教では、幸せになれる行いを六つにまとめた六度万行が教えられていて、その筆頭に布施(与えること)が挙げられています。与えることは、幸せの種まきの第一。それなのに、布施をしても幸せにならない人がいるのは、なぜでしょうか。
仏教はその原因を、はっきり教えています。今回は3つに整理してみます。
理由① 相手を選んでいない——三田
仏教では、布施をするべき相手を三田(さんでん)と教えます。
- 敬田(きょうでん):尊敬すべき相手
- 恩田(おんでん):恩を受けた相手。代表は親です
- 悲田(ひでん):困っている相手
注目してほしいのは「田」という字です。布施は種まきであり、相手は畑なのです。同じ種でも、まく畑によって実りはまるで違います。このブログの式で言えば、果y = 因a × 縁x。同じ因(与える行い)でも、縁(相手)が変われば果は変わるのです。
誰彼かまわず与えることは、一見優しさに見えます。しかし、例えば奪うことしか考えない相手(我利我利亡者)にいくら注いでも、実りは育ちません。それどころか、相手の奪う心を育ててしまうことさえあります。布施は、相手を選んでいいのです。
理由② 見返りを求めている——雑毒
二つ目の原因は、行いの中身ではなく、心の中身です。
仏教には雑毒(ぞうどく)という言葉があります。毒の雑じった善、という意味です。その毒の正体は、見返りを求める心です。
「これだけしてあげたのに、お礼もない。」
この「のに」が、毒です。見返りを求めた瞬間、布施は種まきではなく取引になります。取引には損得が生まれ、期待どおりに返ってこなければ、怒り(瞋恚)や恨みが生まれる。良いことをしたはずなのに、心には毒が回っている——布施をしても幸せにならないどころか、苦しくなる仕組みです。
理由③ した事を、覚えている——三輪空
三つ目は、二つ目のさらに奥にあります。
仏教では、本当の布施の心得を三輪空(さんりんくう)と教えます。「私が」「誰に」「何をしたか」——この三つを、空(から)にして忘れなさい、というのです。
最初に聞いたとき、私は「せっかく良いことをしたのに忘れるなんて、もったいない」と思いました。でも、逆でした。
覚えているから、「あの人には貸しがある」と数えてしまう。数えるから、返ってこないことに腹が立つ。忘れた方が、楽なのです。した側が忘れるほど軽やかな布施には、雑毒が入り込む隙がありません。
では、どうすればいいのか——無財の七施
「相手を選んで、見返りを求めず、忘れる」。ハードルが高く聞こえますが、練習にぴったりの布施があります。無財の七施——お金がなくてもできる七つの布施です。
たとえば、和顔悦色施(わげんえつじきせ)は笑顔で人に接すること。言辞施(ごんじせ)は優しい言葉をかけること。席を譲る、心を配る——どれも小さくて、お金がかからず、そして小さいからこそ、した事をすぐ忘れられます。
大きな布施を覚えているより、小さな布施を忘れるほうが、幸せに近いのです。
まとめ——布施は取引ではなく、種まき
布施をしても幸せにならないのは、布施が効かないからではありません。
- 畑(三田)を選んでいないか
- 種に毒(雑毒=見返りを求める心)が混じっていないか
- まいた種を数えて(三輪空の逆)いないか
この3つを見直すだけで、同じ行いがまったく違う果になります。
良い畑に、毒のない種を、まいたことも忘れて。今日も良い種をまいていきましょう。


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