名僧と人物

仏教

屏風の虎退治——あなたを夜な夜な襲う虎も、絵である。一休さんの笑い話④

一休さんの「屏風の虎退治」を仏教で分析。夜の布団で暴れる不安の虎は、心という屏風に自分で描いた絵。「屏風から追い出してください」は不安への検証の要求=諦観の実践です。今夜から使える550年前のとんち。
仏教

正月に髑髏を掲げて歩いた男——一休さんの笑い話③(笑えない回)

正月の京都を髑髏を掲げて歩いた一休さん。「門松は冥土の旅の一里塚」の歌と、親友・蓮如上人の白骨の章は、同じ無常の説法でした。死の直視は脅しではなく、今日を正しく惜しむための処方箋——シリーズ第3回。
仏教

「このはし渡るべからず」の本当の恐ろしさ——一休さんの笑い話②

一休さんの「このはし渡るべからず」と「水飴は毒」を仏教で分析。人を止めたのは立て札ではなく言葉への執着(指月のたとえ)。和尚の「毒じゃ」は五欲の包装紙。とんちとは執着を笑いで破る刃だった——シリーズ第2回。
仏教

一休さんvs蓮如上人——室町最強の「とんち対決」を実況してみた

禅の風狂僧・一休と浄土真宗の蓮如上人は正反対の教えなのに大親友だった——阿弥陀像を枕にした昼寝事件、「極楽は十万億土」の歌合戦、「こやつの法は天下一なり」。室町最強のとんち対決を実況風に仏教で分析します。
仏教

天上界から地獄界へ——『熔ける』井川意高氏の転落を六道で読む

大王製紙元会長・井川意高氏の自伝『熔ける』に描かれた転落を、仏教の六道で分析。天上界(絶頂)→畜生界(因果が見えない)→餓鬼界(奪う)→地獄界(自業苦)という4段階の流れは、リボ払いや課金など身近にも潜んでいます。
名僧と人物

人生とは、参加することである——ナヴァルから無我へ(哲学対話⑩・最終回)

「特殊知識×レバレッジ=富」というナヴァル・ラヴィカントの言葉から始まった哲学対話の最終回。所有ではなく参加こそが人生を豊かにする——富の哲学が仏教の無我と縁の思想へたどり着くまでの結論です。
仏教

責任とは、参加することである——自己責任論を超える(哲学対話⑨)

「責任を取る」とは罰を受けることなのか。成功も失敗も縁の中で生まれると考えたとき、自分に帰属するのは「方向」だけ——自己責任論を仏教の縁起から捉え直す哲学対話の第9回。
仏教

「自分一人で生きている」に無理がある理由——縁起(哲学対話⑧)

今朝の朝食にも無数の人の働きと自然の恵みがある。仏教の縁起「すべては相互依存で生じる」を生態系や現代科学とつなげて考え、自と他の境界が曖昧になったとき感謝が湧いてくる——哲学対話の第8回。
仏教

「自分らしさ」の自分とは何か——自我という幻想(哲学対話⑦)

「自分らしく生きる」の自分とはいったい何なのか。仏教の無我、禅の観察する意識、カーネマンの「経験する自己と記憶する自己」を手がかりに、自我という幻想を掘り下げる哲学対話の第7回。
仏教

終わりがあるから、今が輝く——無常は絶望ではない(哲学対話⑥)

老い・病・死を遠ざける現代社会。しかし仏教の「無常」は絶望ではなく、有限だからこそ一瞬が意味を持つという逆説を教えてくれる。終わりを知ることが今日を深く生きる力になる——哲学対話の第6回。