『50歳からの孤独入門』を仏教で分析——肩書きを失うことは、自分を失うことではない

『50歳からの孤独入門』を仏教で分析——肩書きを失うことは、自分を失うことではない 仏教

肩書きが、はがれる年齢

今回の「本×仏教」は、斎藤孝さんの『50歳からの孤独入門』。役職定年、収入減、そして孤独——人生後半に訪れる現実に、どう心を備えるか。肩書きから自分を切り離し、承認欲求を手放し、孤独を豊かな時間に変えるという提案です。仏教で読むと、これは丸ごと、無我と無常の実践編でした。

肩書きは、もともと「あなた」ではなかった

本書の核心は、肩書き(課長・部長)は組織内の『役割』にすぎず、あなた自身の価値ではない、という一点です。だから、定年で肩書きを失っても、あなたが失われるわけではない。

これは仏教の無我そのものです。業界の記事で「会社は辞められるが、自分の業は退職できない」と書きました。肩書きは、縁が一時的に与えた衣。諸行無常ですから、衣はいつか脱ぐことになります。問題は、その衣を『これが私だ』と握りしめてしまうこと——七慢でいう我慢(がまん)、我への執着です。衣を脱いだとき「何も残らない」と感じるなら、それは衣を自分だと思い込んでいた証拠。本当のあなたは、肩書きが着せられる前から、そこにいました。

承認欲求と嫉妬——名誉欲と慢の、老後版

本書は「他人の評価(SNSのいいね、若さへの嫉妬)を手放せ」と説きます。昨日の慢の記事と、まっすぐつながります。

承認欲求は名誉欲(五欲の一つ)、嫉妬は他人と自分を測る慢。この二つが手を組むと修羅界——終わりなき比較の戦場——が生まれるのでした。若さと競争して若作りに走るのも、他人の転落を喜ぶ卑しい心も、全部この土俵の上です。本書が「嫉妬を感じたら、あえて相手を褒めよ」と説くのは秀逸で、褒める(言辞施)ことで、比較の物差しを賞賛に持ち替える。測るのをやめて、讃えることに切り替える——修羅界を降りる、実践的な一手です。

高田純次さんの「適当さ」は、名僧の系譜である

本書が理想に挙げるのが、高田純次さんの「適当さ」。私は、これを読んで膝を打ちました。あの軽やかさは、無責任ではなく——執着のなさだからです。

思い出してください。かくれんぼで朝まで隠れた良寛さん。盗人に布団を取らせて「盗人に取り残されし窓の月」と詠んだ、あの軽やかさ。一休さんの「なんとかなる」。名僧たちの飄々(ひょうひょう)とした佇まいは、握りしめるものが無い人の、自由の形でした。高田純次さんの適当さの裏に「他人への優しさ」があると本書が分析するのも同じで、自分への執着が軽い人ほど、他人にやわらかくなれる。適当力とは、現代の無一物、令和の名僧スタイルなのです。

盆栽と、同じ道の散歩——日日是好日

本書は趣味として盆栽や、同じ道の散歩、同じ山を眺めることを勧めます。「毎日同じに見えて、実は少しずつ変化している。それを愛でよ」と。

これは日日是好日の記事そのものです。同じ道の散歩に毎日の変化を見出せる目——それは、刺激の多寡で一日を採点するのをやめ、二度と来ない「今日」を味わう目です。盆栽の小さな変化に諸行無常を見て、衰えていく自分もまた自然の一部だと受け入れる。刺激を追う若さの生き方から、変化を愛でる熟成の生き方へ。孔子も「仁者は山を好む」と言いました。動じない山のような心は、退屈すら豊かに変えます。

孤独は、もともとの姿である

最後に、孤独そのものについて。本書は「孤独を恐れず、自由な時間として受け入れよ」と説きます。仏教は、もっと踏み込みます。人はもともと独りだ、と。

娑婆の記事で書いた独生独死——独り生まれ、独り死ぬ。縁が深くても、心までは一つにならない。これは寂しい真実に聞こえて、実は自由の土台です。もともと独りなら、他人の評価に自分を明け渡す義理はない。孤独とは、欠落ではなく、誰にも侵されない自分の領土。50歳からの孤独入門とは、その領土に、ようやく本腰を据えて住み始める話なのです。

まとめ——衣を脱いだ、その人で

肩書きという衣を脱ぎ、比較の物差しを置き、軽やかに、変化を愛でて、独りを楽しむ。本書の孤独入門は、無我・無常・少欲知足という、仏教のいちばん豊かな部分への入門でもありました。

死ねば肩書きも富も清算される——なら、清算される前に、衣ではないあなたで生きてみませんか。今日という一度きりの日に、良い種を。誰と比べるでもなく、あなたの畑に。

ちなみに「会社で偉かった人ほど、退職後のコミュニティで煙たがられる」という現象を、果y=因a×縁xで説明した記事も書きました。失ったのは縁であって、因ではありません。→ 六度万行の「その逆」を全部書く

また、「趣味や生きがいで老後の穴を埋める」という処方箋の限界についても書きました。縁で埋めたものは、縁が変われば崩れます。→ 「ただ死を待つだけの時間」は、老後だけの話でしょうか

コメント