速く動かずに、二〜三人分の仕事をした話——小学六年の「距離・時間・速さ」

変えたのは、速さではなく距離でした 仏教

スーパーで働いていたころ、二〜三人分の仕事をしていました。

速く動いたわけではありません。使ったのは、小学校六年生のときに習った式です。

時間=距離÷速さ

時間を短くする方法は、二つです

仕事にかかる時間を短くしたい。式を見ると、動かせるものは二つあります。距離と、速さです。

速さは、自分の動きです。けれど私は、そのときの動きから、さらに速くするつもりはありませんでした。

残るのは、距離です。距離を短くすることを、工夫しました。

やったことは、二つです

ひとつは、物の置き場所を変えること。もうひとつは、作業の手数を減らすこと。

置き場所が変われば、体が動く距離が縮みます。手数が減れば、仕事そのものの道のりが縮みます。どちらも、式の「距離」を小さくする工夫です。

計算の上では、距離が半分になれば、同じ速さのまま、同じ時間で二倍の仕事ができます。三分の一なら三倍です。

結果として、二〜三人分の仕事をこなしました。仕事がテキパキしていると、周りからは良く見られていました。

外からは「テキパキしている」と見えます。けれど中身は、速さではなく、距離のほうでした。

三年前の記事に、一行だけ書いていました

この考え方は、二〇二三年に書いた記事の終わりに、一行だけ出てきます。

スピードを意識するなら算数で習った、距離(作業量)= 速さ × 時間 の式を変換して、何を変えるかを決めましょう。そうすることで、無駄なことをやめるのです。

「何を変えるかを決める」。スーパーでの私は、速さではなく距離を変える、と決めました。別の回では、同じ式を、時間の感じ方に当てはめています。小学校の式を、ずっと使い回していることになります。

「がんばる」は、たいてい速さの話です

仕事が終わらないとき、言われるのはたいてい「もっと速く」です。急いで。手を動かして。がんばって。どれも、式でいえば速さの話です。

けれど、速さには体の限度があります。そして、上げた速さは、上げつづけなければ元に戻ります。

距離のほうは違います。一度縮めた距離は、次の日も縮んだままです。変えた置き場所は、こちらが疲れている日にも、そこにあります。

果y=因a×縁xで読むと

こなせる仕事の量を、果yとします。自分の動きが因a。置き場所や手順といった条件が縁xです。

「がんばる」は、aを大きくすることです。私がやったのは、aをそのままにして、xのほうを変えることでした。掛け算ですから、どちらを動かしても果は変わります。

ただし、xを変えたのも自分です。条件を変えるという行いも、因aのうちに入ります。速く動くかわりに、考えるほうへ手間をかけた、ということです。

精進は、気合のことではありません

ここで言葉を一つ。精進(しょうじん)です。噛み砕くと、気合ではなく、歩みを止めないこと。辞典にも、そう書きました。

もう一つ、中道(ちゅうどう)。極端を避けること、です。仏教では、琴の弦にたとえられます。張りすぎた弦は切れ、緩すぎた弦は鳴らない。お釈迦様が苦行を捨てた回に書いた話です。

速さを限界まで上げつづけるのは、弦を張りつめるやり方です。何も変えずにいるのは、緩めたままのやり方です。速さはそのままにして、距離を縮める。これは、そのどちらでもありません。

まとめ——歯止めを三つ

ひとつ。人の二倍、三倍働きましょう、という話ではありません。動きは変えずに、かかる時間のほうを短くした、という話です。

ふたつ。置き場所や手順を、自分では変えられない職場もあります。決める立場にない人へ「工夫が足りない」と言うのは、筋が違います。縁xをどこまで動かせるかは、人によって違います。

みっつ。速さを上げるのが悪い、という話でもありません。急ぐべき場面はあります。式を見て、どちらを変えるかを自分で決める。それだけのことです。

判定は、こうしておきます。速くしようとする前に、距離を測りましたか。

今日も良い種をまいていきましょう。

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