「足りない」からではなく、「全部あった」からこそ
仏教を説いたゴータマ・シッダルタ——のちのお釈迦様は、もともとインドの小国カピラ城の王子でした。
宮殿があり、地位があり、若さと健康があり、美しい妃と子どもにも恵まれた。このブログの言葉で言えば、家の長者(財・地位・名誉)と身の長者(健康)の両方を、生まれながらに持っていた人です。
その人が、29歳ですべてを捨てて出家しました。なぜでしょうか。「足りない」からではありません。全部あったのに、不安が消えなかったからです。今回は、王子が仏に成るまでの物語です。
四門出遊——四つの門の外で見たもの
シッダルタ太子の転機として伝えられるのが、四門出遊(しもんしゅつゆう)の物語です。
父の王は、太子に人生の暗い面を見せないよう、宮殿の中に楽しみだけを揃えていました。しかし、ある日、太子は城の東の門から外に出て、腰の曲がった老人に出会います。「私もああなるのか」。別の日、南の門の外で、やせ衰えた病人に出会います。さらに西の門の外では、葬列——死者に出会いました。
老いること、病むこと、死ぬこと。生まれた以上、誰ひとり免除されない苦しみ。四苦八苦の前半、人生苦(生・老・病・死)です。どれほどの財産も地位も、この三つの前では何の力もありません。宮殿の楽しみは、旅人のたとえで言う「蜜」にすぎなかったのです。
そして最後に、北の門の外で、太子は一人の出家者に出会います。何も持たないのに、静かで満ち足りたその姿を見て、太子は決意しました。この道の先に、答えがあるかもしれない、と。
六年の苦行——「無い」の極限へ
29歳で出家した太子は、当時の修行の常識に従って、苦行に入ります。断食に次ぐ断食で、体は骨と皮になりました。伝記によれば、腹の皮をつかむと背骨に触れたといいます。その苦行、実に6年。
しかし——悟りは開けませんでした。
ここで太子は、重大なことに気づきます。宮殿の快楽(有の極限)でも駄目だった。苦行(無の極限)でも駄目だった。有るも無いも同じく然り——有無同然を、王子と苦行者という両極端の人生で、身をもって実証したのです。
中道——琴の弦のたとえ
そのとき太子が思い出したのは、琴の弦だったと伝えられます。
弦は、張りすぎれば切れる。緩めすぎれば鳴らない。
快楽でも苦行でもない、真ん中の道——中道です。太子は苦行を捨て、村娘スジャータが布施してくれた乳粥を受け取って、体力を取り戻しました。共に苦行していた仲間たちは「あいつは堕落した」と軽蔑して去っていきました。正しい道は、ときに周りから誤解される道でもあります。
菩提樹の下で——ブッダの誕生
力を取り戻した太子は、一本の菩提樹の下に座り、「悟りを開くまで、この座を立たない」と決めます。
伝記では、そこへ悪魔の軍勢が襲いかかったと描かれます。恐怖、疑い、誘惑——これらは外から来た怪物ではなく、心の中の煩悩の姿だと解釈できます。太子はそれらと戦うというより、静かに見破っていきました。
そして35歳の12月8日、明けの明星が輝くころ、太子はついに悟りを開きます。ブッダ(目覚めた人)の誕生です。目覚めた内容の中心こそ、このブログでずっと書いてきた因果の道理——すべての結果には因と縁がある、という宇宙の道理でした。経典には、業(行い)の力は大象百頭よりも強いと説かれます。当時の最強の力の象徴である象をもってしても敵わない力が、私たちの行い一つひとつにあるということです。
まとめ——ブッダは神ではなく、人間だった
この物語で一番大事なことは、最後にあります。
ブッダは神様ではありません。老病死におびえ、悩み、極端に走って失敗もした、一人の人間です。私たちと同じ苦しみから出発した人が、たどり着いた答え——だからこそ仏教は、2500年後の私たちの苦しみにも、そのまま効くのです。
すべてを持っていた人が、持つことでは解決できない問いを立てた。その問いの続きを、私たちも生きています。


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