「有るも無いも、同じく然り」
仏教に有無同然(うむどうぜん)という言葉があります。文字どおり「有るも無いも同じく然り」——お金や物が有っても無くても、苦しみは同じ、という意味です。
「そんなわけがない。あったほうがいいに決まっている。」
そう思いますよね。私も思っていました。では、本当にそうか、見ていきましょう。
「無い」苦しみ
まず、無い苦しみはわかりやすいです。お金がない。時間がない。認められない。求めても得られない——四苦八苦のうちの求不得苦(ぐふとくく)、生活苦の代表です。
この苦しみから逃れるために、人は「手に入れれば楽になれる」と信じて頑張ります。それ自体は自然なことです。問題は、その先です。
「有る」苦しみ
ところが、手に入れたら終わり、ではないのです。今度は失う恐れが始まります。
宝くじの高額当選者が数年で破産してしまう話は有名です。資産家の家では、しばしば相続争い——「争族」が起きます。有名になればプライバシーが消え、地位が上がれば失脚の恐怖がつきまとう。健康でさえ、「維持しなければ」という重圧に変わることがあります。
お釈迦様は、これをこう喝破されました。
「有ることは金(かね)の鎖、無いことは鉄の鎖で縛られているようなもの」
鎖の素材が違うだけで、縛られていることは同じなのです。しかも金の鎖は一見豪華で、周りから羨ましがられますから、縛られていることに本人も気づきにくい。その分、たちが悪いとも言えます。
身近にもある、有無同然
大富豪の話だけではありません。私たちの日常にも、有無同然はあふれています。
SNSのフォロワーが少ないうちは、数が増えないことに悩む。増えたら増えたで、数字が減ることに怯え、投稿のたびに反応が気になって手放せなくなる。スマホを持っていなかった頃は不便でしたが、持った今は、通知に追われて心が休まらない。車も、家も、役職も同じです。無いときは「無い苦」、有るときは「有る苦」。形を変えて、苦しみだけが続いていきます。
なぜ同然なのか——五欲にはきりがない
原因は、欲の性質にあります。人間には五欲(食欲・財欲・色欲・名誉欲・睡眠欲)があり、これは満たすほど大きくなります。100万円を手にすれば1000万円が欲しくなり、1000万円を手にすれば1億円が見えてくる。「もっと、もっと」です。
仏教には有財餓鬼(うざいがき)という言葉があります。持っているのに、飢えている人。コップの底に穴が開いているなら、注ぐ量をいくら増やしても、満たされることはありません。穴をふさがない限り、有っても無くても喉は渇いたままです。
三長者——崩れない財産はどれか
仏教では、長者(豊かな人)を三つに分けます。
- 家の長者:お金・財産・名誉が豊かな人
- 身の長者:健康に恵まれた人
- 心の長者:摂取不捨の利益——変わらない安心を得た人
家の長者は、まさに有無同然の世界の住人です。身の長者も、老いと病と死には勝てません。有る無しに左右されないのは、心の長者だけです。このブログで言ってきた「相対の幸福」(他人と比べる幸福)と「絶対の幸福」の違いが、ここにつながります。
まとめ——鎖に縛られない方向へ
誤解しないでほしいのですが、有無同然は「頑張っても無駄」という教えではありません。お金も健康も、人生を支える大切な縁です。あるに越したことはありません。
ただ、それを「幸せの本体」と勘違いした瞬間に、有っても無くても苦しむ仕組みに入ってしまう。それを教えてくれるのが、この言葉です。持ち物を増やす努力と同じくらい、穴のふさがった心——揺るがない安心に向かう歩みを。
金の鎖にも、鉄の鎖にも縛られない。目指す方向は、そちらにあります。


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