因果の道理を、数式で読み解く——仏教の根幹をy=axで(趣味仏教①)

趣味仏教を説明してみた1 仏教

仏教の「因果の道理」を数式で読み解く


はじめに

仏教の根幹にある考え方として、因果の道理」があります。

この記事では、その因果の道理を数式やグラフを使いながら、できるだけわかりやすく解説していきます。紙とペンを手元に置きながら読むと、より理解しやすいと思います。


因果の道理とは

因果の道理は、三世十方を貫くといわれます。

  • 三世:過去世・現在世・未来世
  • 十方:四方八方に上下を加えたもの、つまり大宇宙全体

つまり「いつでも・どこでも成り立つ法則」ということです。


数式で表すと?

仏教では、因(原因)・縁(条件)・果(結果)が揃って、はじめて結果が生まれると説きます。

これを数式で表すと、

因 = a / 縁 = x / 果 = y

y = ax

となります。

身近な例で考えてみましょう

化学の場合
H × H = H₂(水素)、H₂ × O = H₂O(水)というように、縁が加わるたびに新しい結果が生まれ、さらに次の縁へとつながっていきます。

事故・事件の場合
結果(事故)が起きたとき、私たちはその原因と条件(因縁)を調べます。そして同じことが繰り返されないよう、法律や対策を整えますよね。

医療の場合
現在の症状(果)をもとに病名(因)を特定し、適切な治療(因)によって、将来の回復(果)を目指す——これも因縁果の連鎖です。


縁が重なると「波線」になる

縁が増えていくと、数式はこのように続いていきます。

y = ax₁x₂x₃・・・

これをグラフにすると波線になります。

世の中が絶えず変化し続けている様子を、仏教では「諸行無常」といいます。まさにこの波線がその姿です。


原因を遡ると「円」になる

では逆に、原因 a のさらに原因を探っていくとどうなるでしょうか。

永遠に同じ数式が成立し続けます。これを可視化すると——「円(丸)」の形になります。

これを「無始無終」といい、始まりも終わりもないことを表しています。

仏教は「円の宗教」、他の宗教は「直線の宗教」といわれるのは、このためです。


諸行無常の実態は「円」

波線に見えていた諸行無常も、その実態は円です。

縁(x)をいくら変えても、根本にある因(a)は同じところをぐるぐると廻り続けている——これが仏教でいう「流転輪廻」です。

この繰り返しの構造に気づき、疑問を呈した人物は歴史上にも多くいます。

芥川龍之介「人生は狂人が主催したオリンピックだ」

禅僧・一休「人生は 食て寝て起きて糞たれて 子は親となる 子は親となる」

どちらも共通しているのは、「結局、同じことを繰り返しているだけではないか」という問いかけです。


六道輪廻——円の中の六つの世界

この「円」の中には六つの世界があり、私たちはその中を廻り続けているといわれます。これを六道輪廻といいます。

「六道」の「道」は、y = a という一本道を表しています。そこに縁(x₁x₂x₃・・・)が加わることで、六つの世界に分かれていきます。

六つの世界

世界 内容
地獄界 悪い行いには悪い結果が返ってくる(悪因悪果)
餓鬼界 他者から奪うことしか考えない、テイカーの世界
畜生界 因果の道理が理解できない世界
修羅界 戦い・比較・競争をやめられない世界
人間界 楽しみも苦しみも共存する世界
天上界 一時的な幸せ。「地獄の始まり」ともいわれる

人間界に生きるとはどういうことか

仏教では、人間界は「仮宿(かりやど)」のようなものだと説きます。

数式で表すと、

y = a に、∫(0〜死)x(肉体)dt という縁がついた状態

死とともに、この仮宿を出ていくわけです。

そのため仏教では、「肉体は心の所有物である」と説きます。

縁(x)を減らしていく方向——それが瞑想やマインドフルネス、メタ認知にあたります。科学的にも瞑想の効果を示す研究は多く、一部の大企業でも取り入れられています。


次の記事では、六道のそれぞれの世界をさらに深く掘り下げていきます。


📐 コラム:積分と「塵も積もれば山となる」

「積分をよく使いますね」と言われることがあります。少し説明させてください。

中学以降の数学の中心は n次関数 で、小学校の算数の集大成が y = ax に収まります。この式を見たとき、条件反射で微分・積分を思い浮かべられると数学がぐっと面白くなります。

微分積分は難しそうに聞こえますが、実は等差数列の和と同じです。グラフの上に長方形をびっしり並べて面積を求める——あの説明、どこかで聞いた覚えがありませんか?

長方形の面積 = 縦(y = ax)× 横(dt)

この横の幅 dt が1ずつ等差していくのが積分の本質です。

諺でいえば、「塵も積もれば山となる」がまさに積分です。「微小なものを積み重ねると大きなものになる」ということですね。

dt を一年ずつとすれば、人生100年時代は ∫(0〜100) と書けます。この記事でもそういう感覚で式を使っています。

せっかくなので、逆向きの話も書いておきます。積分が「積み重ねる」なら、その逆は「差を取る」です。

五日目までの合計から、四日目までの合計を引いてみます。1+2+3+4+5=151+2+3+4=10。差は5。前の四つがそっくり同じなので、最後に足した一つだけが残ります。増え方が等差でも等比でも、結果は同じです。

ここが、この記事の因果の話と重なります。昨日までの合計は、もう動かせません。今日動かせるのは、今日足す一つだけです。自因自果というのは、たぶんこの形をしています。

積分は「これまで」を見る道具、差は「今日」を取り出す道具——そう並べると、この式が少し使いやすくなると思います。この話は別の回でも扱いました → 数列の差分と業


紙に書きながらみると理解しやすいかなと思います。

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