日常を仏教で読む

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アインシュタインと仏教——科学が滅ぼせなかった宗教

アインシュタインの宗教三段階(恐怖・道徳・宇宙的宗教感情)で仏教を分析。恐怖宗教は因果の無知の上に建ち科学に崩されたが、仏教は因果の解明の上に建つ。出典未確認の名言と、本人が確実に書いた一文の違いまで誠実に。
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「果報は寝て待て」は怠け者のことわざではない——因をまきまくって、縁が来たら無双する

「果報は寝て待て」は怠け者のことわざではありません。果報=因×縁。因(行動・スキル)は増やせるが縁(機会)は選べない——だから因をまきまくり、縁が来た瞬間に無双する。地味な毎日が装備集めに変わる仏教の時間論です。
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仏教は「祈っても叶わない」と言う宗教——お守りと占いを買わない理由

お釈迦様は占いを禁じ、親鸞聖人は神祇不拝を貫いた——仏教がご利益信仰を否定するのは、因果の外の例外を認めないから。石は祈っても浮かばない。占いの問題は当たらないことではなく、未来の決定権を業以外に譲ること。
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なぜあの人は簡単にできて、自分にはできないのか——宿業と強みの話

なぜあの人は簡単にできて自分にはできないのか。仏教は才能を「神様の授かりもの」ではなく三世因果——輪廻で積んだ宿業の果と説きます。慢も卑下も消え、今日の種まきに意味が戻る、才能の不公平への仏教の答えです。
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愛の反対は、憎しみではない——美輪明宏さんの言葉と、仏教の「愛憎一如」

「愛の反対は憎しみではなく無関心」——美輪明宏さんの名言は、仏教の愛憎一如(愛と憎しみは一枚のコインの裏表)と完全に一致します。渇愛と慈悲の違い、縁なき衆生は度し難しまで、愛の構造を仏教で分析します。
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AI畜生——AIに「考えること」を明け渡した人から落ちていく

2040年のシンギュラリティでAIが人間を超える?本当の分かれ目は知能ではありません。AIの答えを疑わず因果関係を問わない状態=畜生界。AI効果・ナヴァルの特殊知識・因果の道理から、AI時代の智慧を考えます。
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鬼は「遠仁」と書く——本当の鬼は、心の中にいる

鬼は「仁(思いやり)から遠い」と書いて遠仁。角の生えた怪物ではなく、三毒の煩悩に飲まれた心の状態です。節分の鬼の色の意味、有財餓鬼・我利我利亡者、そして無財の七施による心の鬼退治まで、仏教で分析します。
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お経の主人公は、絶望した一人の女性だった——王舎城の悲劇

夫を失い、実の息子に裏切られ、幽閉された王妃・韋提希。『観無量寿経』はどん底の彼女ただ一人のために説かれました。仏教が「余裕のある人の教養」ではなく「どん底の人への手紙」である理由を、王舎城の悲劇から。
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蜘蛛の糸は、なぜ切れたのか——カンダタと我利我利の心

芥川龍之介『蜘蛛の糸』の糸は、お釈迦様が切ったのではありません。「この糸は俺のものだ」という我利我利の心が切ったのです。小さな善が地獄まで届く理由、自因自果と自利利他まで、名作を仏教で読み解きます。
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もう道がない、と思ったときに思い出してほしい話——二河白道

前にも後ろにも進めない八方ふさがりのとき。善導大師の「二河白道」のたとえは、火の河(怒り)と水の河(欲)の間にも白い道が必ず在ること、渡り切る力が自分になくても呼ぶ声があることを教えてくれます。