アインシュタインと仏教——科学が滅ぼせなかった宗教

アインシュタインと仏教——科学が滅ぼせなかった宗教 仏教

雷が鳴ると、神が怒っていた時代

大昔、雷は神の怒りでした。日照りは祟りで、疫病は悪霊の仕業でした。原因のわからない恐怖を鎮めるために、人類は祈り、捧げ、ひれ伏した——これが宗教の始まりの風景です。

そして現代。雷の正体は放電だと、小学生でも知っています。雷神は天気予報に職を奪われ、キャラクターとして「ネタ」の世界に引っ越しました。科学が因果関係を解明するたびに、恐怖の宗教は縄張りを失っていったのです。

では、宗教はすべて科学に滅ぼされる運命なのか。この問いに、20世紀最大の科学者が面白い答えを残しています。

アインシュタインの「宗教の三段階」

アインシュタインは1930年、「宗教と科学」という文章で、宗教の発展を三段階に整理しました。

第一段階は恐怖の宗教。雷=神の怒り、の段階です。因果の無知の上に建っているため、科学が進むほど土台が崩れます。

第二段階は道徳の宗教。裁き、導き、救う人格神と、戒律の段階。社会の秩序を支えますが、「神がそう命じたから」という根拠は、やはり検証と相性がよくありません。

そして第三段階が、彼の言う宇宙的宗教感情です。人格神を持たず、罰も報酬も約束せず、ただ宇宙を貫く法則性そのものへの深い畏敬——アインシュタインは、これこそが最も成熟した宗教性であり、科学者を駆動しているのも実はこの感情だ、と言います。

仏教が崩れなかった理由

お気づきでしょうか。仏教は、この三段階のどこに立っているか。

仏教の背骨は因果の道理——「すべての結果には因と縁がある」という法則、ただ一本です。先日の記事で書いたとおり、仏教は祈れば叶うと言わず、因果を曲げてくれる神を認めず、占いを禁じました。恐怖宗教が「因果の無知」の上に建っていたのに対し、仏教は「因果の解明」の上に建っている。科学と同じ地盤に立っているのだから、科学が進んでも崩れようがないのです。むしろ心理学や脳科学が瞑想や認知の研究を進めるほど、2500年前の観察の精度が再発見されている——攻守が逆転しているほどです。

本人が実際に書いた言葉

ここで、正直な注意をひとつ。ネットには「未来の宗教は宇宙的宗教である。仏教こそがそれに当てはまる」というアインシュタインの言葉が出回っていますが、この形の発言は出典が確認されていません。偉人の言葉は盛られがちです(このブログは因果関係のないものは扱わない主義なので、ここは厳密にいきます)。

その代わり、彼が「宗教と科学」に確実に書いた一文があります。

「仏教には、宇宙的宗教感情のはるかに強い要素が含まれている」

盛られた伝説より、本物の一文のほうが重い。物理学の巨人は、人格神なしに法則への畏敬だけで立つ宗教性を最高段階と定義し、その要素を最も強く含む例として、仏教の名を挙げたのです。

まとめ——法則を拝む、ということ

仏教で手を合わせる相手は、雷を落とす神ではありません。まいた種が必ず生える、という法則そのものと、その法則を見抜いて示した人(仏)への敬意です。

科学が発達するほど輝きを増す宗教があるとしたら、それは因果を説く宗教だけ——アインシュタインの三段階は、そのことを教えてくれます。雷はもう怖くない。でも、まいた種が生えることは、今日も変わらず確かなのです。

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