「ありがとう」の反対語を知っていますか——有り難し、という奇跡の話

「ありがとう」の反対語を知っていますか——有り難し、という奇跡の話 仏教

反対語から考える

クイズから始めます。「ありがとう」の反対語は、何でしょうか。

「ごめんなさい」?「どういたしまして」?——違います。語源から考えると、答えは一つしかありません。「当たり前」です。

ありがとう=有り難し

「ありがとう」の語源は「有り難し(ありがたし)」——「有ることが難しい」、つまりめったにない、奇跡的だ、という意味です。そしてこれは、もともと仏教語です。

お経(法句経)に、こういう趣旨の言葉があります。「人の生を受くるは難く、やがて死すべきものの、いま生命(いのち)あるは有り難し」——人間に生まれることは難しく、必ず死ぬ身でありながら、今こうして生きていることは、有り難い(めったにない)ことだ——。

盲亀浮木の記事で、人間に生まれる確率を試算しました。100年に一度浮上する盲目の亀が、大海に漂う丸太の穴に首を入れる確率——。「ありがとう」という言葉は、あの確率論の上に立っています。

「当たり前」は、感謝の消しゴムである

反対語が分かると、感謝が消える仕組みも分かります。「当たり前」と認定した瞬間、ものごとは感謝の対象から外れるのです。

蛇口から水が出る。電車が時間に来る。家族が今日も生きている。心臓が今この瞬間も動いている——冷静に因果を追えば、どれも膨大な条件(縁)が揃って初めて成立している、綱渡りのような現象です。でも毎日続くと、脳は「デフォルト」に分類し、感謝の帳簿から削除する。そして失って初めて、それが「有り難い」ものだったと気づく——親の恩の記事で書いた「空気は消えて初めて気づく」と同じ構造が、ここにもあります。

感謝の練習は、認定の取り消しである

だとすれば、感謝力を上げる方法は根性ではありません。「当たり前」認定を、一つずつ取り消すことです。

やり方は簡単で、因果を一歩だけ遡ればいい。この水は、どこから来たか。この食事の裏に、何人いるか。今日も体が動くのは、何が働いてくれているからか——哲学対話の第8回で書いた「朝食の因果をたどる」練習です。遡った分だけ、「当たり前」が「有り難し」に戻ります。

そして思い出してください。感謝(知恩・感恩)は報恩の入口であり、感謝が行動力を生む記事で見たとおり、偉人たちの原動力でもありました。感謝は気分ではなく、燃料なのです。

ちなみに、感謝は言われた側だけの得ではありません。「ありがとう」を口にした瞬間、言った本人の蔵にも、感謝の種が一粒入ります(口業です)。感謝の多い人ほど幸福度が高いという研究が繰り返し報告されるのは、感謝が「気づく練習」であると同時に「まく行為」でもあるから——言うだけ得な言葉というものが、この世にはあるのです。

まとめ——今日、一つだけ取り消す

「ありがとう」と言うたびに、私たちは知らずに宣言しています——「これは当たり前ではない。有ることが難しいことだ」と。

今日、当たり前リストから一つだけ、取り消してみてください。取り消した数だけ、世界は奇跡に戻ります。そもそも、今日この記事を読んでいるあなたが生きていること自体——盲亀浮木の確率を通り抜けた、有り難しの塊なのですから。

そして「当たり前」にしてしまうことを、仏教は忘恩と呼びました。そこから何が始まるかについては、別記事に書いています。→ 恩を忘れた人と、忘れなかった人

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