なぜ生きるのは、こんなに苦しいのか——旅人と虎のたとえ

なぜ生きるのは、こんなに苦しいのか——旅人と虎のたとえ 仏教

「自分が弱いからだ」と責めている人へ

頑張っても、頑張っても、楽にならない。周りは平気そうに生きているのに、自分だけが苦しい。きっと自分が弱いからだ——。

そう自分を責めている方に、先にお伝えしたいことがあります。

仏教の答えは、こうです。あなたが弱いからではありません。人生の実相が、もともとそういう構造をしているのです。

お釈迦様がそれを説いた、有名なたとえ話があります。文豪トルストイが自著に引用して、世界に広まった話です。

旅人と虎のたとえ

ひとりの旅人が、野原を歩いていました。すると突然、飢えた虎が現れ、襲いかかってきます。

旅人は必死で逃げ、崖から垂れ下がる一本の藤蔓(ふじづる)につかまって、宙にぶら下がりました。ほっとしたのも束の間、見下ろすと、崖の底では毒龍が口を開けて待っています。

さらに、かすかな音に気づきます。白い鼠と黒い鼠が交互に現れて、命綱の藤蔓を、かじっているのです。

絶体絶命。そのとき、旅人の口に、ぽたり、と甘いものが落ちてきました。蔓の根元にある蜂の巣から垂れる、蜜でした。旅人は蜜をなめ、その甘さに、自分の状況をすっかり忘れてしまいました——。

このたとえは、私たちの「今」の絵図

お釈迦様は、これが人間の実相だと説かれました。

  • 旅人:私たち自身
  • :無常。いつ訪れるかわからない災難や別れ
  • 藤蔓:命
  • 白い鼠と黒い鼠:昼と夜。交互にやってきて、確実に命の蔓をかじっていく時間のこと
  • :五欲(食欲・財欲・色欲・名誉欲・睡眠欲)。一時的な楽しみ

つまり、人生はもともと安泰な場所ではなく、誰もが蔓一本にぶら下がっている身なのです。「一切皆苦」——お釈迦様が四法印の一つに掲げた言葉のとおりです。多くの人は蜜の甘さでそれを忘れていますが、構造そのものは、誰にとっても同じです。

苦しいと感じるあなたは、間違っていない

ここで、大事なことを言わせてください。

この絵図が人生の実相なら、「生きるのは苦しい」と感じているあなたの感覚は、壊れているのではなく、正確だということです。蜜の甘さでごまかしきれなくなった人は、実は、真実に近い場所に立っています。

お釈迦様も、まさにそこから出発されました。王子として蜜(富も地位も家族も)に囲まれながら、「この構造のままでは、本当の安心はない」と気づいたことが、仏道の始まりでした。無常を観ずるは菩提心の一なり——苦しみに気づくことは、崩れない幸福を求める歩みの、第一歩とされているのです。

誤解しないでほしいのですが、蜜をなめること自体が悪いのではありません。休息も、小さな楽しみも、生きるために必要です。ただ、蜜では蔓の問題が解決しない、という構造を知っておくことが大事なのです。そして、平気そうに見える周りの人たちも、実は同じ蔓にぶら下がっています。蜜で忘れているか、忘れきれずにいるかの違いだけで、あなた一人が特別に不運な場所にいるわけではありません。

蜜ではなく、崩れないものを

このたとえは「絶望しなさい」という話ではありません。逆です。

蜜(一時的な幸福)を増やすことでごまかす生き方から、蔓が切れても崩れない幸福——このブログで言ってきた絶対の幸福——を求める生き方へ。方向を変えるための話です。仏教はそのためにこそ、説かれています。

今日まで歩いてきたこと自体が、すでにすごいことです。あなたの感じてきた苦しさは、無駄ではなく、ここから先の道の入口でした。焦らなくていいので、この場所から、一緒に少しずつ見ていきましょう。


一人で抱えるには重すぎる夜は、話を聴いてくれる人がいます。電話やSNSで話せる窓口が、厚生労働省の「まもろうよ こころ」にまとまっています。この記事を閉じたあとの あなたの時間が、少しでも軽くなりますように。

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