仏教

掃除をしよう

お寺はなぜあれほど綺麗なのか。朝イチ掃除の科学的メリット、掃除だけで悟りを開いた周利槃特の話、そして掃除が因果の道理(自因自果)を体で学ぶ実習になる理由まで——「掃除をしよう」と思える仏教の話です。
仏教

「この世の全てを手に入れた男」ゴールド・ロジャーを仏教で読み解く

『富、名声、力、この世の全てを手に入れた男』——ワンピース冒頭のロジャーの名言を仏教で分析。五欲・修羅界・空・諸行無常の視点から、手に入れても虚しい理由を、秀吉やアレクサンドロスの遺した言葉とともに読み解きます。
仏教

我果業(がかごう)とは——このブログの名前に込めた意味

意味不明に見える「gakagou」の正体は、我・果・業を混ぜた造語「我果業」。我が果は我が業より生まれる——ブログ名に込めた仏教の自因自果の教えと、本や日常を仏教で分析するこのブログの目的をお話しします。
仏教

三業が人生を変える──法律では裁けない「心の行い」

仏教の三業(身業・口業・意業)をわかりやすく解説。法律や道徳では裁けない「心の行い」がなぜ人生を決めるのか。心→言葉→行動の順で人生が変わる仕組みを、身近な例とともに紹介します。
仏教

何も残らないと思っていた。でも、一つだけ残るものがあった。

希望もお金も健康も失い「生きても迷惑」と言われた私が見つけた答え。死んでも消えない、たった一つ残るものとは。仏教の「業力不滅」の教えから、生きる意味を見つめ直すエッセイです。
哲学

人生とは、参加することである——ナヴァルから無我へ(哲学対話⑩・最終回)

「特殊知識×レバレッジ=富」というナヴァル・ラヴィカントの言葉から始まった哲学対話の最終回。所有ではなく参加こそが人生を豊かにする——富の哲学が仏教の無我と縁の思想へたどり着くまでの結論です。
仏教

責任とは、参加することである——自己責任論を超える(哲学対話⑨)

「責任を取る」とは罰を受けることなのか。成功も失敗も縁の中で生まれると考えたとき、自分に帰属するのは「方向」だけ——自己責任論を仏教の縁起から捉え直す哲学対話の第9回。
仏教

「自分一人で生きている」に無理がある理由——縁起(哲学対話⑧)

今朝の朝食にも無数の人の働きと自然の恵みがある。仏教の縁起「すべては相互依存で生じる」を生態系や現代科学とつなげて考え、自と他の境界が曖昧になったとき感謝が湧いてくる——哲学対話の第8回。
仏教

「自分らしさ」の自分とは何か——自我という幻想(哲学対話⑦)

「自分らしく生きる」の自分とはいったい何なのか。仏教の無我、禅の観察する意識、カーネマンの「経験する自己と記憶する自己」を手がかりに、自我という幻想を掘り下げる哲学対話の第7回。
仏教

終わりがあるから、今が輝く——無常は絶望ではない(哲学対話⑥)

老い・病・死を遠ざける現代社会。しかし仏教の「無常」は絶望ではなく、有限だからこそ一瞬が意味を持つという逆説を教えてくれる。終わりを知ることが今日を深く生きる力になる——哲学対話の第6回。