ナヴァル哲学対話

仏教

人生とは、参加することである——ナヴァルから無我へ(哲学対話⑩・最終回)

「特殊知識×レバレッジ=富」というナヴァル・ラヴィカントの言葉から始まった哲学対話の最終回。所有ではなく参加こそが人生を豊かにする——富の哲学が仏教の無我と縁の思想へたどり着くまでの結論です。
仏教

責任とは、参加することである——自己責任論を超える(哲学対話⑨)

「責任を取る」とは罰を受けることなのか。成功も失敗も縁の中で生まれると考えたとき、自分に帰属するのは「方向」だけ——自己責任論を仏教の縁起から捉え直す哲学対話の第9回。
仏教

「自分一人で生きている」に無理がある理由——縁起(哲学対話⑧)

今朝の朝食にも無数の人の働きと自然の恵みがある。仏教の縁起「すべては相互依存で生じる」を生態系や現代科学とつなげて考え、自と他の境界が曖昧になったとき感謝が湧いてくる——哲学対話の第8回。
仏教

「自分らしさ」の自分とは何か——自我という幻想(哲学対話⑦)

「自分らしく生きる」の自分とはいったい何なのか。仏教の無我、禅の観察する意識、カーネマンの「経験する自己と記憶する自己」を手がかりに、自我という幻想を掘り下げる哲学対話の第7回。
仏教

終わりがあるから、今が輝く——無常は絶望ではない(哲学対話⑥)

老い・病・死を遠ざける現代社会。しかし仏教の「無常」は絶望ではなく、有限だからこそ一瞬が意味を持つという逆説を教えてくれる。終わりを知ることが今日を深く生きる力になる——哲学対話の第6回。
仏教

なぜ人は苦しむのか——根にあるのは「執着」と「無明」(哲学対話⑤)

お金・承認・愛・健康——苦しみの表面的な原因は様々でも、根っこには共通の構造がある。仏教が説く「苦」と「集」、執着の有無ではなく気づきの有無が苦しみを分ける理由を掘り下げる哲学対話の第5回。
仏教

「私」とは何か——無我、固定された自我は存在しない(哲学対話④)

身体は入れ替わり、記憶は書き換えられ、心は揺れ動く。では「私」とは何者か。仏教の「無我」と五蘊の考え方から、固定された私がないからこそ人は変われるという逆転の視点にたどり着く哲学対話の第4回。
名僧と人物

欲望は悪なのか——捨てるのではなく「向き」を変える(哲学対話③)

「欲望を捨てなさい」を文字通りに受け取ることへの違和感から始まる考察。布施・仁・三方良しに共通する「欲望の向きを変える」智慧と、欲望を歪める恐れの正体を掘り下げる哲学対話の第3回。
仏教

「私の能力」は、本当に私のものか——特殊知識=行動×縁(哲学対話②)

ナヴァルの「特殊知識」を仏教の縁の視点で書き換えてみる。能力は自分一人が所有するものではなく、世界との関係から生まれる現象ではないか。努力と責任をベクトルとして捉え直す哲学対話の第2回。
仏教

特殊知識とは何か——ナヴァルの「富の方程式」から始まる(哲学対話①)

「特殊知識×レバレッジ=富」——投資家ナヴァル・ラヴィカントの言葉を出発点に、好奇心の追求から生まれる誰にも真似できない知識の正体を考える。富の哲学が人生の哲学へ広がっていく連載の第1回。