何も残らないと思っていた。でも、一つだけ残るものがあった。

何も残らないと思っていた。でも、一つだけ残るものがあった。 仏教

人生で、失うものはたくさんある。

希望を失うこともある。
お金を失うこともある。
時間を失うこともある。
恋愛を失うこともある。
健康を失うこともある。

私も、多くのものを失ってきた。

それでも最後に選んだのは、「命」だった。

生きることを選んだ。

しかし、その先で聞いた言葉は残酷だった。

「生きても迷惑。」
「死んでも迷惑。」

その言葉は、長い間、心に刺さった。

「じゃあ、自分は何のために生きているのだろう。」

何度も考えた。

そして、ある日、一つの問いが浮かんだ。

生きている人と、死んだ人の共通点は何だろう。

考え続けて、私なりの答えにたどり着いた。

それは、

「行動は残る」ということだった。

人は死ねば、財産も持っていけない。

肩書きも、名誉も、美しさも、いつか失われる。

でも、自分がした行動だけは、消えない。

誰かを助けた事実は、なかったことにはならない。

誰かを傷つけた事実も、消えることはない。

仏教には「業力不滅」という考え方がある。

行ったことは滅することなく、未来へ影響を与え続けるという教えだ。

私は、この考え方に救われた。

物理学でも、一度起きた出来事は次の出来事へ影響を与えていく。

もちろん、物理法則と仏教は同じものではない。

それでも、「行動には続きがある」という見方には、どこか共通するものを感じた。

だから今は、良いことをすることに迷いがない。

誰かに親切にする。

困っている人を助ける。

感謝を伝える。

優しい言葉を選ぶ。

それが大きなことでなくてもいい。

その行動は、必ず世界のどこかに残っていく。

もし今、この文章を読んでいるあなたが、

「もう何も残っていない。」

「自分には価値がない。」

「消えてしまいたい。」

そう思っているなら、伝えたいことがある。

あなたは、過去に失ったものだけでできている人ではない。

これから選ぶ一つひとつの行動が、あなたという人をつくっていく。

人生は、失うことを止められない。

でも、今日という日に誰かへ向けた優しさは、失われない。

だから私は、生きる。

何かを手に入れるためではない。

良い行動を、この世界に一つでも多く残すために。

それだけは、誰にも奪えないから。

仏教は、それを「業力不滅」と呼ぶ

後になって知ったのだが、私がたどり着いたこの考えには、仏教にちゃんと名前がついていた。業力不滅(ごうりきふめつ)——行いの力は滅びない、という教えである。

仏教では、人が死ぬときに持っていけるものは何もないと説く。財産も、地位も、体さえも置いていく。しかし一つだけ、消えずに残るものがある。それが業——自分がしてきた行いだ。良い行いも、悪い行いも、心の蔵(阿頼耶識)に記帳され、消えることなく未来へ働き続ける。

この教えを知ったとき、腑に落ちた。私が「行動だけは残る」と考えたのは、たまたまの思いつきではなかった。2500年前から、同じ場所に立った人がいたのだ。

だからもう一度書いておく。何も残っていないと感じる日でも、あなたがこれまでしてきた小さな親切は、一つも消えていない。そして今日これから選ぶ行動も、消えない側に積まれていく。失ったものの数を数えるより、これから積むものの一粒目を。それだけで、今日は十分だと思う。


一人で抱えるには重すぎる夜は、話を聴いてくれる人がいます。電話やSNSで話せる窓口が、厚生労働省の「まもろうよ こころ」にまとまっています。この記事を閉じたあとの あなたの時間が、少しでも軽くなりますように。

コメント