名前だけは、全員知っている
笑える名僧列伝、最終回は江戸初期の禅僧・沢庵(たくあん)和尚です。あの黄色い漬物の名は、沢庵和尚が広めた(考案した・墓石が漬物石に似ていた等、諸説あり)ことに由来すると言われています。真偽はともかく、戒名より漬物で不滅になった僧というのが、もう面白い。
ちなみに宮本武蔵を導いた師としても有名ですが、あれは吉川英治の小説の創作です(このブログは因果関係と出典に厳しいので、正直に申告します)。しかし史実の沢庵は、創作に負けないほど濃い人です。
権力に屈しなかった僧
沢庵は、幕府が朝廷と寺院の権威に介入した「紫衣事件」で、幕府に真っ向から抗議の書を提出し、流罪になりました。時の権力に楯突いた僧です。ところが後年、その気骨に惚れ込んだ三代将軍・徳川家光が帰依し、江戸に寺(東海寺)まで建てて招くことになります。
怒りに任せたのではなく、道理を曲げなかっただけ。処罰されても恨まず、赦されても媚びず。八風(はっぷう)——毀誉褒貶の風——に吹かれても動かない心を、人生で実演した人でした。
「心をどこにも置くな」——不動智
沢庵の教えの核心は、剣術の達人・柳生宗矩に与えた書『不動智神妙録』にあります。剣禅一如の原点です。いわく——
心を、どこにも留めるな。
相手の刀に心を置けば、刀に心を奪われる。勝ちたいと思えば、その欲に心を奪われる。どこか一点に心が留まった瞬間、人は残りのすべてに対して無防備になる——だから、どこにも置かない。全体に、水のように行き渡らせておく。これが不動智です。
剣を持たない私たちにも、覚えがあるはずです。上司の一言に心が釘付けになった日、他の仕事が全部上の空になる。スマホの通知に心を置いた食卓で、目の前の家族が見えなくなる。心が一点に執着する(留まる)ことが、苦しみと失敗の源——沢庵は、執着の力学を剣の速度で説明した人なのです。
誤解されやすいのですが、不動智は「一点集中」とも違います。一点への集中は、それ自体が「留まる」ことだからです。楽器の名手や熟練の運転手を思い出してください。指一本、ミラー一枚に意識を張り付けず、全体がひとつのまとまりとして流れている——あの状態です。心を殺すのではなく、心を水のように全体へ行き渡らせる。留まらないから、すべてに応じられる。掃除や作務が修行になるのも、手先に心を置かず、体全体で動く練習だからです。
遺言と、「夢」の一字
沢庵の最期も痛快です。遺言は「墓をつくるな、戒名もいらぬ、弔いも無用」。名僧の葬儀という一大行事を、まるごと拒否しました。形式(建前)より中身、を死に方でも貫いたのです。
そして臨終、弟子に乞われて筆を執り、書いたのは、ただ一字。
「夢」
——それだけ書いて、筆を置き、亡くなったと伝えられます。栄華も流罪も、将軍の帰依も漬物も、ぜんぶ夢のごとし。豊臣秀吉の辞世「夢のまた夢」と同じ場所を、たった一字で言い切った。諸行無常の、おそらく世界最短の表現です。
シリーズを終えて——笑いは、入口である
良寛のかくれんぼ、仙厓のゆるい絵、沢庵の漬物。三人とも、笑いを入口にして、その奥にとびきり硬質な教え(無一物・対機説法・不動智)を置いていました。一休も含め、本物ほど、入口をやわらかくする——4人の名僧の共通点です。
難しい顔は、要らないのです。笑って入って、深く出る。このブログも、そうありたいと思います。

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