2026-06

仏教の基本

三業が人生を変える──法律では裁けない「心の行い」

仏教の三業(身業・口業・意業)をわかりやすく解説。法律や道徳では裁けない「心の行い」がなぜ人生を決めるのか。心→言葉→行動の順で人生が変わる仕組みを、身近な例とともに紹介します。
仏教

何も残らないと思っていた。でも、一つだけ残るものがあった。

希望もお金も健康も失い「生きても迷惑」と言われた私が見つけた答え。死んでも消えない、たった一つ残るものとは。仏教の「業力不滅」の教えから、生きる意味を見つめ直すエッセイです。
仏教

『ナヴァルから無我へ』 ― ナヴァルから始まった哲学対話10

「特殊知識×レバレッジ=富」というナヴァル・ラヴィカントの言葉から始まった哲学対話の最終回。所有ではなく参加こそが人生を豊かにする——富の哲学が仏教の無我と縁の思想へたどり着くまでの結論です。
名僧と人物

『ナヴァルから無我へ』 ― ナヴァルから始まった哲学対話9

「責任を取る」とは罰を受けることなのか。成功も失敗も縁の中で生まれると考えたとき、自分に帰属するのは「方向」だけ——自己責任論を仏教の縁起から捉え直す哲学対話の第9回。
仏教

『ナヴァルから無我へ』 ― ナヴァルから始まった哲学対話8

今朝の朝食にも無数の人の働きと自然の恵みがある。仏教の縁起「すべては相互依存で生じる」を生態系や現代科学とつなげて考え、自と他の境界が曖昧になったとき感謝が湧いてくる——哲学対話の第8回。
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『ナヴァルから無我へ』 ― ナヴァルから始まった哲学対話7

「自分らしく生きる」の自分とはいったい何なのか。仏教の無我、禅の観察する意識、カーネマンの「経験する自己と記憶する自己」を手がかりに、自我という幻想を掘り下げる哲学対話の第7回。
哲学

『ナヴァルから無我へ』 ― ナヴァルから始まった哲学対話6

老い・病・死を遠ざける現代社会。しかし仏教の「無常」は絶望ではなく、有限だからこそ一瞬が意味を持つという逆説を教えてくれる。終わりを知ることが今日を深く生きる力になる——哲学対話の第6回。
仏教

『ナヴァルから無我へ』 ― ナヴァルから始まった哲学対話5

お金・承認・愛・健康——苦しみの表面的な原因は様々でも、根っこには共通の構造がある。仏教が説く「苦」と「集」、執着の有無ではなく気づきの有無が苦しみを分ける理由を掘り下げる哲学対話の第5回。
仏教

『ナヴァルから無我へ』 ― ナヴァルから始まった哲学対話4

身体は入れ替わり、記憶は書き換えられ、心は揺れ動く。では「私」とは何者か。仏教の「無我」と五蘊の考え方から、固定された私がないからこそ人は変われるという逆転の視点にたどり着く哲学対話の第4回。
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『ナヴァルから無我へ』 ― ナヴァルから始まった哲学対話3

「欲望を捨てなさい」を文字通りに受け取ることへの違和感から始まる考察。布施・仁・三方良しに共通する「欲望の向きを変える」智慧と、欲望を歪める恐れの正体を掘り下げる哲学対話の第3回。