ビジネスの潮流が変わっている
かつてのビジネスの中心にあったのは**株主第一主義(我利我利)**でした。利益を最大化し、株主に還元することが企業の目的とされていました。
しかし現在、その流れが変わりつつあります。ステークホルダー資本主義——株主だけでなく、顧客・従業員・取引先・地域社会、すべての利害関係者を幸せにしようという考え方です。
2019年、アメリカの大手企業経営者が集う最大の経済団体「ビジネス・ラウンドテーブル」が企業の目的に関する声明を発表しました。その内容はこうです。
- 顧客には期待を超える価値を届ける
- 従業員には適正な報酬・福利厚生・スキルアップの機会を提供し、多様性と尊厳を育む
- 取引先には公正かつ倫理的に対応する
- 地域社会を支援する
- 株主には長期的な価値を提供する
まとめると——利害関係者全員を幸せにしましょう、ということです。
仏教の言葉でいえば、**「自利利他」**そのものです。
近江商人の「三方良し」
日本にはこれと同じ精神が、何百年も前から存在していました。
「三方良し」——買い手良し、売り手良し、世間良し。
近江(現在の滋賀県)の商人たちが大切にしてきた商売の精神です。自分だけでなく、相手も、そして社会全体も幸せになることを目指す。
一説によれば、室町時代に浄土真宗の蓮如上人が近江の人々に親鸞聖人の教え——自利利他——を伝え、感銘を受けた近江商人たちがこれを商売の信条にしたのが三方良しの起源だと伝えられています。仏教の教えがビジネスの哲学になった、という流れです。
近江商人商売十訓
三方良しの精神は、具体的な十の訓えとして残っています。
- 商売は社会貢献が本質。利益はその結果である
- 場所より品物の良さが肝心
- 売る前のお世辞よりアフターサービスが信頼のカギ
- お金よりも信用が商売の生命線
- 無理に売るな。客の好むものも売るな。相手のためになるものを売れ
- 良い品を売るだけでなく、必要な時に提供することがさらに価値になる
- ちょっとした心遣いが喜ばれる。何もないなら笑顔を景品にせよ
- 定価を守れ。値引きに応じることは信頼を損なう
- 損益管理は必要だが、目先の利益ばかりを追うな
- 時代の変化に柔軟に対応せよ。環境のせいにせず、常に創意工夫を
仏教的に読み解くと、①〜⑧は自利利他の精神、⑨は精進、⑩は自因自果に対応しています。
長期的な信頼・誠実さ・柔軟な工夫——この三つがこの十訓を貫く軸です。そしてそれは、冒頭のビジネス・ラウンドテーブルの声明と驚くほど重なります。
三方良しはなぜ難しいのか
「言うは易く行うは難し」——三方良しはまさにこの言葉通りです。
わかりやすい例として、下請け叩きの問題があります。
大企業が中小企業に無理な価格引き下げを要求する。断れば取引停止——倒産の危機です。追い詰められた中小企業はやむなく不良品を混入させてコストを下げようとする。不良品が市場に出回り、回収問題が起きる。大企業と中小企業はリコールを隠蔽し、やがて内部告発で明るみに出る。大バッシングを受け、共倒れになる——。
毎年のように起きるこのシナリオ、仏教的に見れば惑業苦のサイクルそのものです。自分さえ良ければという行い(因)が、自分を苦しめる結果(果)として返ってきます。
なぜこうなるのか。余裕がなくなると、他のことを考えられなくなるからです。
余裕がない時にこそ
仏教にはこういう言葉があります。
「乏しき時に与えるは、富みて与えるにまさる」
豊かな時に与えることはそれなりにできます。しかし、自分が乏しいときに与えられるかどうか——そこに本当の人格が現れる、ということです。
また、こんな言葉もあります。
「長者の万灯より、貧者の一灯」
億万長者が万の灯火を寄進するよりも、貧しい人がなけなしの灯火を捧げる方が尊い——これも同じ意味です。余裕があるからこそできることは誰でもできる。余裕がないときにできることが、真に尊いということです。
まとめ
三方良しは難しい。しかし難しいからこそ、それを貫いた者には長期的な信用が積み重なります。信用は最も返りの大きな布施です。
因果の道理から見れば、与える因を積み続ければ、必ず良い果が返ってくる。短期的な損得ではなく、長期的な信頼を軸に動けるかどうか——これがビジネスの根底であり、近江商人が何百年も前に体現していた答えです。
株主第一主義から自利利他へ。現代のビジネスが向かっている方向は、仏教と近江商人がすでに知っていた場所に収束しつつあります。


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