行動はどんなことも経験として残るについて

昨今では、時代の変化の流れが大きく動いていますよね。この世の中で、さまざまな変化に対応するために新しいことに挑戦したいと考える方が大勢います。その時に、気になることは「思った通りの結果が返ってこずやっても意味が無かったんじゃ無いか」ということですよね。まあいわゆる、失敗を気にして行動することができないということです。しかし、経験は残るんです。

そこで、仏教ではどう教えられているか、です。結論としては、業力不滅です。行動は消えないということです。

まず、諸行無常です。「世の中の全てのものは変化し続けているよ」ということです。つまり、失敗も成功も世の中の変化も長期的に見れば一時的なものでしかないのです。「失敗」という言葉も「成功」という言葉も気にする必要は無いということです。そもそも言葉自体が人間が作ったものですので、時代と共に変化します。周囲の人間の心無い言葉を聞くよりも、自分の行いに目を向けましょう。成功するまでやるということはSNSでも良く聞きますよね。

次に、仏教では業(因)は一切消えないと教えます。今まで(過去世と現在世を超えて)の全ての行動は、阿頼耶識という心の蔵に全て収まると言います。良い事、悪い事区別しません。これが行動の種子(=業種子)となります。世間的によく言われるのは、「経験として残る」ということです。これを、「業力不滅」と言います。なので結論としては、挑戦しても経験は残るので、いろいろやってみましょう。今この瞬間も積み重なっているため悪いことはせず良いことをしましょう、ということになります。

では、なぜそうなるのかを説明します。

それは流転輪廻をしているからです。これは以前別のページ(趣味仏教1)で数式を使って説明しました。簡単に言えば、物理学上、円運動をしているからです。なので、y=aが途切れるということが無いからです。行動すれば結果が返ってくるので確率は100%になります。

ただし、時間による差異はあります。

  1. 順現業:すぐに結果が返ってくるということです。
  2. 順次業:忘れた頃に返ってくるということです。
  3. 順後業:完全に忘れた頃に返ってくるということです。

つまり、現在の人生の理不尽なことは過去世の行いによって返ってきたもので、現在の行動したけど結果が返ってこないことは来世で帰ってくると考えると理屈上は通りますよね(上記:3)。で、人間として生まれた時に初めて行うことについて「才能あるね」「才能あるんじゃない?」とか言いますよね、これは前世の行動の積み重ねと解釈すると理屈が通りますね。行動は三世を超えて不滅なんですね。

話は戻りますが、行動は一度も途切れず常に積み重なっています。数学では、積分していることになります(等差数列の和と同じ)。その実態は、円運動していることです(輪廻)。この廻るという字は、1回ではなく何回も廻るという意味があります。1周するたびに積み重なります。例えば、この円を24時間としてみた場合、1周すると1日が経ちます。これを積み重ねると毎日ということですよね。別の言い方をすると、「継続」や「習慣」になります。「継続は力なり」という諺がありますが、これは積分しているということです。継続する上で、大事なことは自因自果を理解することです。他因自果にしてはいけません。

それでは、肝心の行動(因)には大きく分けて3種類あります。意業(心の行い)は何を思考しているか、口業(口の行い)は何を言っているか、身業(体の行い)は何をしているかです。いずれも、変化し続けています。中でも特に変化が大きいのは意業です。人間は煩悩の塊ですから、業種子や縁があれば思考がすぐに変化してしまうんですね。

このブログは、数式で説明していることが多いですが、積分で使用するdtとは「微小な時間によって変化していく」という意味なので、時間は途切れませんよね。ですので、3業は途切れないんですね。途切れないので、行動は積み重なっていくんだよ、ということです。つまり、積分であり行動は不滅となります。

まとめ

以上の説明より、行動の力というのは不滅であると解します。業力不滅と言います。行動は自分の意思とは無関係に積み重なっていることになります。せっかく、時間と共に自動で積み重なっているものなので自分の人生をより良くする方向に習慣のルール(例:1日のうちこの時間は勉強や副業をするなど)を作ってみてはいかがでしょうか。このことを理解すると、今この瞬間を大事にできますよね。

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