趣味仏教を説明してみた4

前回の続きですね。

人に非らずなので、「この定義に非らず」ということです。「煩悩の塊に非らず」。

日本で親鸞聖人が、この方法では浄土に行けないと絶望し比叡山を降り法然上人と出会い他力という方法を見つけました。

六道の抜け方には共通点があり、自分で気づくか仏教を聞くことの二つがあります。自力と他力の方法があるということですね。これを、「自力本願」「他力本願」と言います。自力本願の自力とは疑情のことで阿弥陀仏の本願を疑うことです。他力本願の他力とは、阿弥陀仏のことです。阿弥陀仏は、仏の最上位であり因果関係から他力の頂点という認識です。阿弥陀仏は、全ての衆生を救うと約束しています(本願)。これに任せるということです。他力について誤解されている方が非常に多いですよね。漫画やアニメでよく間違った使われ方をします。自分は何もしないで部下や他人に全部やらせる描写が非常に多いです。もう一度書きますが、これは間違っています。

個人的にはあくまで趣味程度なので本当にあるか疑っています。ただ、この記事は数学ベースで説明しているので、数学を否定できるかと言われるとできないとしか言えないです。

ただ現実の世界では、欲に振り回されるのが人間なので、欲に打ち克ってセルフコントロールすることが人生をうまくいく方法なのかなと解釈しています。そして、セルフコントロールするために自分で気づく(経験の蓄積)か科学と仏教の力(因果関係と方向性)を利用することの二つかなという解釈をしています。両方のいいとこ取りしたいですけどね。(仏教的には間違っていることはわかっていますが、、、 イメージで言えば、帰納的アプローチと演繹的アプローチだと思います。ちなみに昨今の企業会計の結論では、両方のいいとこ取り(折衷型)が最適解と言われています。)

これによって人間界から抜けるわけですよね。改めて、人間は煩悩の塊で一日中欲に振り回されているわけです。では、もう少し詳しく説明してみましょう。まず、因aに縁xが揃いますが、仏教では肉体というのは心の所有物と言われます。所有物ということですので、期限がありますよね。似たような話で、投資の神様と言われるウォーレンバフェット氏は次のような発言をしています。

「あなたが車を1台持っていて、一生その車にしか乗れないとしよう。当然あなたはその車を大切にあつかうだろう。マメにオイルを交換したり、慎重な運転を心がけたりするはずだ。そこで考えて欲しいのは、あなたが一生にひとつの替えが効かない心と体しか持つ事ができないという事だ。」

つまり、心と肉体は一生乗り換えができない車と同じということです。

これを数学に置き換えると【∫(0→死(100))xdt】ということです。

【人生は四苦八苦】

この世界は穢土(汚れた世界)であり娑婆と言われます。娑婆とは堪忍土、耐え忍ばなければいけない世界ということです。思い通りにいかないんですね。四苦八苦なんていうものがあります。仏教では、決して逃れられない苦しみでいつでもどこでも経験する八つの苦しみが教えられています。それぞれに意味があります。

  1. 生苦:生きる苦しみ。式で言えば、0→のことです。生きるためには様々なことが制限や必要なものがあります。この世に生を受けて生きていくことが苦しみだということです。徳川家康は「人の一生は重荷を背負って遠き道をいくがごとし」と言っています。重荷を下ろすことはできないんですね。
  2. 老苦:老いる苦しみ。時間と共に変化していくものです。dtです。世界三大美女なんかはこの苦しみが非常に大きかったと記されています。最近では、心理学者が経験には賞味期限があるなんて言ってます。
  3. 病苦:病の苦しみ。突然という認識ですが積み重なってくるものです。まさかということです。生まれた直後から病気リスクがあり死ぬまで0になることはないですね。
  4. 死苦:死んでいく苦しみ。→死のことです。死が近づくと今まで必死で積み重ねてきたもの、他人と戦い蹴落としてまで手に入れたものが何の役にも立ちません。生きる意味がわからない苦しみが起きます。「自分の人生は何だったんだろう」と虚しくなったりします。これをスピリチュアルペインと言います。
  5. 愛別離苦:愛するものや人などとは必ず別れるということです。大きければ大きいほど苦しみも大きいです。+xの終わりのことです。会者定理の一部ですね。
  6. 怨僧会苦:恨み、憎む嫌いなものや人とも必ず会わなければいけないということです。-x→の始まりことです。こちらも会者定理の一部ですね。
  7. 求不得苦:ぐふっとくと呼びます。求めるものや人などが得られない苦しみです。x自体が手に入らないが欲しいということです。欲望には限りがありませんが様々な制限があるため苦しみます。
  8. 五蘊盛苦:五体盛んになるがゆえの苦しみ。前の7つを総称したもののことです。五蘊とは肉体のことなので∫(0→死(100))x(肉体)dtそのもののことになります。つまり、肉体があるが故の苦しみです。そうなると存在意義が起きてきます。何のために生まれ、何のために生きているのか、生きる意味への疑問が起きてきます。

ということなので、苦しみが絶え間なくあるということで上記の式で書けるということです。肉体には、六根があります。これが煩悩と関係あるんですね。ちなみに、1〜4を、「人生苦」、5〜8を「生活苦」と言います。

ですので人間界も苦しみの世界であります。次回には煩悩について書いてみましょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました