趣味仏教を説明してみた3

それでは、仏教の目的とは何かということです。それは、この六道から抜け出すことです。出離(しゅっき)すると言います。

仏教の救いとは何か

それを、【天上天下唯我独尊】と言います。天上天下とは、大宇宙のこと。唯我とは、我々人間のこと。独尊とは、たった一つの尊い目的があるということです。まとめると、「大宇宙広しといえど我々人間にしか達成することができないたった一つの尊い目的があるんだよ」ということです。

それでは、そのたった一つの尊い目的とはなんでしょうか?

人生の目的とはなんなのかということです。人生の目的は、摂取不捨の利益を受け取ることです。これは、仏に救い取られて捨てられない幸せという意味です。仏教は聴聞に極まると言われます。仏教を聞くということは仏教に詳しくなっていくということですよね。そして、平生の一念でガチッと仏の手によって摂取されます。そのあとは捨てられることが無くなるということです。生きて良し、死んで良しの身になれます。この身になるための人生なんだよということです。社会一般的に言われる幸せは一時的なものであり、諸行無常の世の中ではいつまでも続かないんですね。以前書きましたが、縁xを積分で表現しましたね。いつかは終わります。

ではどうするか、この六道の迷いの世界から抜け出すことです。これを、出離(しゅっき)と言います。因果の道理から始まり結末はこのたった一つの救いが導き出されました。ほかの宗教は大きい救いから小さい救いまでたくさんあるんですが、仏教はこれ唯一つです。

それでは、六道からどうやって抜けましょうか。

簡単に考えれば、【対義的な考え】をすればいいんです。それぞれの世界に入るには、原因は業(行い)です。イメージで言えば、世の中にはさまざまな業界がありますよね、TV業界、政界、医療業界、IT業界、お金の世界、スポーツの世界などたくさんあります。その業界(縁)に入るにはきっかけがあり、自分の行動(因)と結びつき業界に入る(果)ことなりますよね。これと同じです。

  1. 地獄界:自分の業で苦しむ訳ですから、悪いことやめて良いことしましょう。
  2. 餓鬼界:奪うことが原因ですので、与えましょう。ギブ&テイクといえば理解しやすいと思います。テイカーではなく、ギバーになりましょう。
  3. 畜生界:因果の道理が分からないので、知恵を磨きましょう。
  4. 修羅界:比較したり戦うのは慢心や名誉欲が原因ですので、正しく理解し比較するのをやめましょう。自分の行いを見つめましょう。
  5. 人間界:ここは、六道を抜け出す最後の砦です。いわゆる、双六でいえばリーチの状態ということです。また、後で。
  6. 天上界:一時的な幸福ではなく長期的な幸福を目指しましょう。本当の幸せというのは外側から来るのではなく、内側から湧き出てくるものです。幸福ホルモンの一つにドーパミンがありますが分泌の方法にも外的刺激と内的刺激の二つがあります。重視するのは、内的刺激の方です。

一旦人間界以外の五道をまとめると、良いことをして与える側になって因果関係を理解し正しく判断し長期的な幸福を目指しましょう、ということになります。

それでは、リーチの状態の人間界についてになります。

そもそもこの六道を抜けた先には一体どんな世界が待っているのでしょうか?

3+1の世界があると言われます。3の世界というのは、「三乗衆」と言われます。これは後回しにします。+1の世界は、「仏」です。仏という字は、「佛」とも「俳」とも書きます。これは、【人に非らず】と書きますよね。他の五道の抜け出し方と同じで対義的ですよね。つまり、ゴール手前ということですので、双六のリーチの状態と解することができますね。

では、仏教では「人間」をどのように定義しているのかという展開になるわけです。

人間とは、「煩悩具足の凡夫」と定義します。

「煩悩」とは、煩い悩ませるもの、いわゆる欲望ですね。具足とは、手足がついているということです。つまり「欲望が手足までついたものが人間である」ということです。例えば、雪だるまがありますよね、雪だるまの雪が溶けてしまえば何も残らないですよね。雪だるまの欲望バージョンが人間であるイメージです。欲望の塊なので、欲望が無くなると何も残らないということです。

仏は「人に非らず」ですから、欲望の塊では無いということですよね。インドの修行僧が悟りを開くことを目的として瞑想などをして欲望を減らそうとしていますがここから来ていると推測できます。結論を言えば無理なんですけどね。頭の先からつま先まで欲望の塊ですし、人間界に入った時点で縁x(肉体)で積分(0→100(死))していますから、無理な話なんですよ。

ここから簡単な歴史の話をしますが、仏教はインドから中国、朝鮮半島を渡って日本に伝わってきました。この間には、さまざまな宗派が作られたり解釈がされてきたことになります。そして、日本で親鸞聖人が、この方法では浄土に行けないと絶望し比叡山を降り法然聖人と出会い他力という方法を見つけました。

この続きはまた次回です。

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