畜生界は、因果関係がわからない世界のことを言います。これを理解していると人生で役に立ちます。因果の道理を数式にすると、y=a∫xdt…になります。
智慧の定義:因果の道理(システム)を理解している。自因自果=自業自得。自分に起きたことの一切は自分に原因があると理解している。自分のせい。
愚痴の定義:因果の道理(システム)が分からない。他因自果。自分に起きた悪いことは他人に原因があるとしてしまう。他人のせい。
身近な経験でどういうものがあるか、具体的みてみましょう。
例1:勉強などの学習
勉強を続けていくと分からない箇所は必ず出てきますよね?そこでどのように考えるかです。分からない原因が自分にあるか自分以外にあるかです。当然、前者が智慧のある人です。他人のせいにしてしまうとそこで成長は止まります。そこから一歩前進して、原因は自分にあると考えることで正のサイクルが成立するんですね。正のサイクルを繰り返すことで成長していきます。これができる人を智慧のある人と言います。お釈迦様は、今現在勉強ができない人を頭が悪いとは言いません。分からない原因をそのままにして自分以外のせいにしてしまう人を愚痴の人と言います。痴の字は病垂に智慧と書きますので、愚かな智慧の病気ということです。智慧のある人は長期的にみて成長するからです。
例2:お金の知識などの他人の考えに騙される人
愚痴の人は、ぼったくり商品や詐欺商品に引っ掛かります。この商品のシステムを理解していないんですね。日本では、子供の頃に「なんで勉強するの?」という質問に「騙されないため」なんていう回答があったりしますね。それはここからきています。ぼったくり商品や詐欺商品なんてものは、システムを複雑化して顧客に分からせないようにしています。当然、会社からの説明はメリットしか言いませんし大雑把な事実しかいわず上手く都合の悪いことは隠します。因果の道理を理解すればこのようなものに無駄なお金を支払うことは減ります。その時に役立つのは、簿記やFPの資格になります。これは必須で勉強してほしいですね。
例3:宗教です。仏教も宗教ですが、他の宗教とは明確な違いがあります。それは因果関係で説かれているということです。アインシュタインは、宗教には3種類あると言いました。
- 恐れの宗教(原始の宗教):「雷がなると神が怒っている(神也)」「自然災害になると神の逆鱗に触れた」などこのようなことが信じられていた時代が大昔にありました。今では、ギャグ以外で言いませんよね。なんで言わないんでしょうか?答えは簡単、科学が発達したからです。科学とは何か、因果関係を判明させるものですよね。科学が発達すると偶像は消えていきます。ここで有名な言葉に、哲学者のニーチェは「神は死んだ」という発言があります。現実(真実)と理想(偶像)という図式が崩壊するということを意味します。「神様と仏様は仲が悪い」という言葉はここからきているんですね。つまり、愚痴は智慧によって無くなっていくということです。仏教は見つけた教え、他の宗教は作った教え、と言われます。
- 倫理的宗教:キリスト教など仏教以外の宗教です。それぞれの宗教が消滅したら教えも無くなるので「作った教え」と言われます。全部消えるというわけではないですけどね。
- 宇宙的宗教:仏教です。三世十方を貫く因果の道理です。仏教が消滅しても教えは残っているから「見つけた教え」と言われます。
日本人の宗教嫌いは「作った教え」に騙されて被害が出ていることが原因です。作った教えに騙されないためにどうすれば良いか?智慧を磨きましょう。人生いつでもいつまでも勉強をしましょう。
(雑談)
一週間って誰が作りましたか?世の中の名前があるものって言葉を知っている生き物が作ったんですよね。つまり、人間です。一週間はキリスト教が作りました。元ネタは調べれば出てきます。では皆さん、月曜日(仕事始め、学校始め)になったら憂鬱ですよね?金曜日(明日休み)になったら元気出ますよね?この作ったものに惑わされているんです。←→では、これに対して仏教はなんと教えるんでしょうか、答えは日日是好日と教えます。これはその日を良くする(果)のは自分の行動(因)だよ、ということです。それでは、それぞれの教祖が存在しなかった場合どちらが成立するでしょうか?【三世】仮に、「一万年前に月曜日だから憂鬱だね」といっても成立しませんよね、月曜日なんて作ったもので存在しませんから。逆に、「獲物が獲れたから今日は良い日だね」なら成立しますよね。【十方】世界最大の望遠鏡で地球みたいな青い星が見つかりました。度々ニュースででます。おそらく人間のような生き物もいるだろうと予測されています。それではその星で、「月曜日だから憂鬱だね」といっても成立しませんよね、月曜日なんて作ったもので存在しませんから。逆に、「獲物が獲れたから今日は良い日だね」なら成立しますよね。ここから仏教は「三世十方を貫く因果の道理」と言われます。「作った教え」ではなく、「見つけた教え」と言われる所以になります。「そこにあったんだ」見つけた教えです。
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