前回の続きからは、六道とはなにか
どのような世界なのか?ということです。この中の一つに、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界というものがあります。ここで、算数やGoogleマップの拡大縮小がありますよね、これを利用して人間界に焦点を当てることで他の5つの世界が縮小されているという仮定が立ちます。つまり、人間界の中の六道ということです。覗いてみようと思ったわけです。
- 地獄界:自業苦とも書きます。自分の行い(業)で苦しむということです。もっとも苦しみの激しい世界です。悪いことすると悪い結果が返ってきますよということです。「苦より苦に入り、闇より闇に入る」なんて言います。因果の道理から明らかです。日本では、子供の時に「悪いことするな、自分に返ってくるから、良いことしろよ」なんて教育する家庭も多いです。このまま続けてしまうと、悪い人間だけの集まりになってしまいます。想像してみればどんな世界になるか、嫌な世界ですよね。
- 餓鬼界:飢餓状態、飢えた鬼と書きますね。「くれくれ君」ですよ。世の中でも、自分のものは人に与えなかったり帳尻を合わせるために相手を焦らせたり奪うこともらうことばかり考えている人っていますよね。自分さえ良ければ他人はどうでも良いと考えています。そういう人はガキなんて言われたり、最近ではテイカーとも言われます。「遠仁」と書いて「おに」と呼びます。仁は人間の心のことです。これから遠いんですね。仏教では、例えがあったりします。餓鬼が水を飲もうとすると直前でその水が炎や石に変わったりして結局飲めない。それどころか自分を傷つけることになります。
- 畜生界:ここは、因果の道理がわからない世界です。動物の世界なんて言われます。家畜として生きるということです。今日の会社なんかでは、「こんなにやってるのに給料あがんねー」「社畜だ(→会社畜生だ)」など聞きますよね。収入の因果関係が分かっていないからです。他にもたくさんあります。勉強してできる人とできない人の違いは因果関係が分かっているかどうかです。アインシュタインは、宗教には3種類あると言いました。そのうちの一つに、「恐れ(原始)の宗教」というものがあります。これは、雷がなったりや地震が起きたりその他自然災害があると、「神様が怒っている」「神様の逆鱗に触れた」などの宗教です。今は言わないですよね。それは、科学が発達したからです。科学とは、因果関係を明らかにするものですよね。つまり、偶像(嘘)の結末は因果関係(真実)です。哲学者のニーチェは、「神は死んだ」と言いましたがこのことです。
- 修羅界:ここは争いが絶えない世界です。修羅場なんて言いますよね。戦い続けたり比較し続けたりする世界だということです。ただ悪い世界ではありません。ここは、一位になっても終わりません。また繰り返します。様々な大会がありますが、「優勝して引退して終わります」なんて方もいますが、仏教は心を重視します。肉体には限界がありますが、心の中ではどうでしょう。過去や未来の人々と比較したり偶像と比較したりしますよね。それでは、肉体ではなく財の世界ではどうでしょうか。財といえば、代表的なのは、経済(お金)ですよね。とある方は資産50億を持っていますが、豪華客船に乗ったら自分が一番貧乏で落ち込んで泣いていたなんて聞いた話があります。現在であれば50億あれば贅沢しなければ一生お金には困らないんですよね、煩い悩ませるのはこの比較する心です。ブータンなんて国は、国民の幸福度の順位が一桁で有名な国でした。今は、幸福度の順位が中盤ほどまで下がりました。原因はスマホと言われています。他の国と比較して「自分たち全然恵まれてないじゃん」ということです。国内総生産(GDP)の世界に入ってしまったので抜け出すことは無理でしょうね。
- 人間界:ここは苦しみも楽しみもある世界です。詳しくは、後ほど説明します。
- 天上界:一番楽しみが多い世界と言われます。一時的な楽しみなんて言いますが、多種ありますが簡単な類のイメージで言えば「依存症」みたいなものだと思ってください。では、その結末は?地獄界、餓鬼界、畜生界に落ちると言われます。ゆえに「地獄の始まり」なんて言われます。この流れに関しては、日常的にもニュースでもドラマでも定番のシナリオなので覚えておくと自分の身を守ることにも繋がります。ちなみに、科学実験:100ドルを得るのと失うのでは幸福度の絶対値として何倍になるかというものがあります。【得る1:失う2.25】と言われます。1^1=3^2/2^2です。100ドル得る喜びと225ドル失う苦しみは絶対値として同じということです。失う方がはるかにストレスなんですね。
六道を日常で表現してみましたが、意外と身近なことですよね。縮小した六道です。縁x肉体が失ったら(死んだら)拡大されるだろうと予測がつきます。今のうちに、仏教を学んで心を完成させたいところです。
それでは、仏教の目的とは何かということです。それは、この六道から抜け出すことです。出離(しゅっき)すると言います。
次回に続きます。
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